これぐらい卑怯な解散は憲政史上初めて
今回の解散総選挙は安倍晋三首相の卑怯な本性がよく表れている。民主党から政権を奪還して第二次安倍政権が始まったとき、安倍首相は「危機突破内閣」と自ら命名して、アベノミクスを経済政策の前面に押し出した。2014年の選挙でも「この道しかない」と訴えて、「三本の矢」「新三本の矢」でアベノミクスを5年弱継続してきた。
しかし、めぼしい成果はほとんどなく、政権が目標に掲げてきた2%成長は5年経ってもほど遠い。逆に日銀が国債を大量に買い込むというきわめて危険な状況をつくり出している。先の内閣改造でも結果を出せなかった経済閣僚を留任させておきながら、「経済重視の仕事人内閣」と嘯いた。解散までの2カ月間で「仕事人」は一体どんな仕事を成したのか。
一方、政権の長期化に伴って党内に安倍首相の対抗勢力がいなくなり、「安倍一強」体制が築かれる。そこで蔓延ってきたのが、いわゆる「忖度政治」である。
「僕難突破」の冒頭解散
背景として非常に大きいのは、14年に内閣官房に新しく内閣人事局が設置されたことだ。それまで各省庁の官僚主導で行われてきた幹部の人事権が内閣人事局に移ったことで、役人は完全に官邸のほうを向いて仕事をするようになった。
「政治主導」「官邸主導」と言えば聞こえはいいが、要は安倍首相ならびに官房長官や内閣府の取り巻き連中の意向を汲むイエスマンで幹部官僚を固めたということ。その歪んだ忖度政治の象徴が森友学園問題であり、加計学園の問題なのだ。
ところが自らを震源地とするスキャンダルを「知らなかった」で押し通した安倍首相は国会をさっさと閉じてしまった。閉会中の3カ月間はもっぱら外遊と北朝鮮問題などの外交テーマで埋めておいて、ほとぼりが冷めた頃に開いた臨時国会では所信表明演説もなく、「僕難突破」の冒頭解散。再開された国会で安倍政権が国民の負託に足る政権なのかどうか、厳しく追及されることを国民は期待していたわけで、これぐらい卑怯な解散は日本の憲政史上初めてだろう。