就職に際して<帰国子女>の取り得る選択肢にはどういうものがあるのでしょうか。一般的な<帰国子女>のイメージからいえば、外資系企業、総合商社といったところを筆頭に旅行業界などを含め、とにかく海外との接触が多そうな業界が中心となるのでしょうか。

語学力が必要な航空業界も、帰国子女に人気のイメージがある。

たしかに、そういう業界に進む<帰国子女>もいますが、わたしの周囲ではあまり大勢を占めていないように見えます。帰国以来、「海外には行きたくない」と海外旅行にすら出なかった「下級生」のことを耳にしたこともあります。それでも結局は、「海外支局長」のような立場で長いあいだ外国に赴任することになりました。本人がそれを歓迎していたのか、楽しむことができたのかどうかはわかりません。

そもそもわたしたちが就職活動をしていた時代にも、「英語がしゃべれるからって仕事ができるとは思うなよ」という気持ちを持った採用者がいることは肌身に感じました。そしていまや、<帰国子女>だけが「英語を使える」時代ではありません。また、海外と関わる仕事についたからといって、明るい未来がひらけるわけでもないことをみな知っています。むしろ<帰国子女>であればこそ、どうにかして日本国内だけで完結したいと感じる人間がいても不思議はありません。

日本で暮らしてどことなく居心地悪い瞬間

それでも、もし<帰国子女>全般にある程度共通するなにがしかの感覚ないし経験があるとすれば、それは日本で生活していてどことなく居心地が悪いと感じる瞬間なのではないかと考えています。日本での生活ぶりが良いか悪いか、あるいは日本が好きか嫌いかといったこととは別に、ということです。もちろん程度の差はありますし、海外での生活ではそういう居心地の悪さを感じないということでもありません。結局のところそれは、紋切り型でいう「日本を客観的に見る」態度からくるわけですが、わたし自身の経験からするとそれは、「日本のみならず、どこにいても自分の生活環境を客観的に眺めてしまうクセが抜けきらない」というふうに、少しネガティヴな感覚と一体化しています。まあ、そのせいで困るというほどでもないのですが。こういう感覚のせいで会社を渡り歩くことになったり、反時代的なまでに「会社人間」になったり、ということもあるでしょう。「ほんとうの自分」のようなものをいつでも隠し持っていて、意外なタイミングでそれを表に出すこともあるかもしれません。

そういう意味で、<帰国子女>であることが「社会人」としての生き方を左右する、ということはあります。「社会人」としての<帰国子女>に共通していえるのは、そのくらいかもしれません。

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