ちょっと冗談めかして聞こえたかもしれません。相手は苦笑いしたように見えました。だいぶ経ってから、あれは打ち合わせ相手自身の心配事だったのだと気づきました。なにか具体的な出来事があったわけではありません。ただ、各方面にさまざまな働きかけをして、懸念材料をほぼすべてクリアしたにもかかわらず、その「仕事」が動き出すことはなかったのです。条件が揃ってもなお、その人間は行動を起こしませんでした。ただ一本電話ないしメールを入れればすべてが動き出すというところまで来ていたのにもかかわらず、です。理由は不明なまま、結局説明されることもありませんでした。どういうわけか、最初から動かすつもりのない仕事だったのでしょう。
それにもかかわらず、逃げ口上として口にした、「あとはこういう条件がそろえば動き出せる」という言葉を字義どおりに受け止めたわたしが、それらの条件を満たすべく行動する姿を目の当たりにして、うんざりしたというのが本音だったのではないでしょうか。それで、「あなたは字義どおり受け止めるからなあ」という自分自身が抱いていた懸念を口にしたのでしょう。
真意を伝えられない人へのかすかな怒りと軽蔑
思い返してみると、たしかにいつでも持ってまわったもの言いをする人でした。そう気づいてみると、いわなければならないこと(と感じている自分の真意)を、面と向かって端的に伝えられない人間への微かな怒りと軽蔑が湧き上がりました。「いいたいことがあるならハッキリいえばいい」という気持ちです。
そういうわけで、その「プロジェクト」は成立しませんでしたので、いまだにその人が具体的にどのような事態を心配していたのか、はっきりとはわかりません。
おそらくは、「おまえはオレのいうことをちゃんと聞くのか?」という懸念だったのではないでしょうか。まあ、彼について「持ってまわったもの言いをする人」と書き付けている段階で、その人の心配は妥当だったのかもしれません。なにしろあの時点では、彼の言葉を字義どおり受け止めて、「クライアントがよけいな心配をしている」と理解していたのですから。
これが、「<帰国子女>は人間関係の機微がわからない」ということの一例なのでしょうか。たしかにその人も、わたしが<帰国子女>であることを引き合いに出してはいました。