<帰国子女>は「日本語が苦手」?

かつての同僚に、小学校低学年時に2年ほどアメリカで生活していた20代の男性がいました。通っていたのは「現地校」です。しかも帰国後は、英語力を失わないための塾にも通っていましたので、社会人になった今でもネイティヴに近い感覚で英語を操れます。その彼について、ある上司が「あいつは日本語が苦手だからな」と苦笑いすることがよくありました。たしかに、簡潔に説明するのが得意とはいえない男でした。でもわたし自身は、その傾向と「日本語が苦手」という評価を結びつけて考えたことはありません。

<帰国子女>でなくても、説明に時間がかかる人は少なくありません。言葉を選ぶのに慎重すぎる人や、単に説明があまりうまくなく不必要な情報を「端折る」ことができないまま話の途中で「迷子」になる人たちは、まわりを見渡してみてもけっこういます。しかもこの元同僚の説明は、決してそこまでひどくありませんでした

注意が必要なのは、そのときこの<帰国子女>は、仕事における評価がなかなか上がらない時期にいたということです。つまり、「日本語が苦手だからな」というのは、「仕事ができない」という評価のうえに、<帰国子女>であることの「ハンディキャップ」を、いわばおおいかぶせる表現だったのだろうと想像ができるのです。

「仕方ない」逃げ場を与えてやるつもりの口上

しかも、「<帰国子女>なんだからしかたない」というかたちで、むしろ彼に逃げ場を設けてやるもの言いだったのではないかとすら思われます。良かれ悪しかれ、なにか突出した部分があるときには、そこが<帰国子女>と結びつけられるというのはよくあることです。

とはいえ、同じことは「在日外国人」「出身県」などの出自や、「ひとりっ子」「片親」といった成育環境から血液型などなどにいたるまで、ありとあらゆる属性と結びつけておこなわれています。特別珍しくはありません。

ただ、<帰国子女>というカテゴリーが、ほかのものよりもちょっとだけ使いやすいのは事実でしょう。特別な配慮を要する歴史的背景があるわけでもなく、今日では誉め言葉に使われる場合も多いわけですから。