【田原】当時から松尾さんはAIをやってらしたんですね。
【米良】そのころ実際にやっていたのは「SPYSEE」という人物検索サイトでした。たとえば誰かの名前を入れると、その人の人間関係が自動的に表示されるサイトです。
【田原】人間関係がわかる?
【米良】たとえば「米良はるか」と名前を入れると、検索エンジンがネット上の記事や論文を吸い上げて調べます。その結果、違う記事で「田原総一朗」という名前が一緒に何度も出てきたら、田原さんと私は距離感が近いことがわかる。そういう仮説に基づいて人間関係を可視化するサイトでした。
【田原】人間関係がわかると、何ができるんですか。
【米良】たとえば私が安倍首相に会いたいなと思っても、どういうルートでアプローチすればいいかわからないですよね。でも、SPYSEEを使えば、「あ、田原さんに紹介してもらえばいい」とわかる。私は“人間乗り換え案内”と呼んでいました。
【田原】それはおもしろい。
【米良】いまはフェイスブックで人と人のつながりが見えますが、当時はそれを可視化できるサービスがなかった。SPYSEEを手伝いながら、これから個人のネットワークが資産になる時代がくると痛切に感じました。自分は個人としてどんな力を身につけて、どうやって社会に還元していくのかを考え始めたのも、この時期からです。
【田原】米良さんは大学4年のときに「Cheering SPYSEE」を立ち上げた。これはどういうプロジェクトですか。
【米良】SPYSEEには90万人のデータが掲載されていました。その多くはウィキペディアに名前が載るほどの実績はない方々。そういう人たちが何かやろうとしたときに応援できる仕組みをつくりたいと思って、お金を集められるサイトをつくりました。クラウドファンディングというより投げ銭に近いですね。
【田原】投げ銭って?
【米良】READYFORも少額の支援が中心ですが、Cheering SPYSEEはもっと少額で、100円とか500円で応援します。しかも見返りはなし。お金を出して終わりです。
【田原】何も対価がなくて、よくお金を出してくれますね。
【米良】いやぁ、出してもらえなかったですね。Cheering SPYSEEは合計500万円ぐらいかな。やはり自分が支援した後のストーリーが見えるとか何かしらの対価がないと、事業として大きくならなかった。