『小さな旅』は、取材場所をアナウンサーが集中的に歩いていく形式なので、「偶然」を装っていたとしても、すべて「必然」だ。事前にディレクターがリサーチし、台本を作り込み、取材対象の許可も取る。前述の若い女性と老人の交流もおそらく、事前のリサーチで拾った「物語」から脚色している。

実際、現地周辺のSNSやブログを見ると、前述のレコード店では店長から常連たちに撮影日が告知されており、無料ステージスペースの出演者が放送前のフライング告知を消した形跡もあった。

できるだけ自然に見えるよう編集されているが、台本を丁寧に作り込んでいる分、「偶然」も起こらない。民放系の作り手からは「紙芝居」と揶揄されている旧世代の手法であることも隠さない。『ドキュメント72時間』のリアリティショー的な「偶然」の演出に慣れている先鋭的な視聴者には退屈だろうが、保守的な視聴者にストレスを与えないことが『小さな旅』の流儀だ。

この回に限れば、老朽化した地下街という取材場所のセレクトも含めて、制作側が『ドキュメント72時間』を意識していたのかもしれない。普段の『小さな旅』は、登場人物を絞り込み、その生活を追うことで地域を捉えていくので、取材場所を固定して地域を捉えるケースは珍しいのだ。

長寿番組が見せた小さな「揺らぎ」

しかし、後半、山田アナが封筒の宛名書きや短歌の清書などを請け負う代筆専門店を訪れたあたりから、方向性が急激に変わっていく。

山田アナが地下街を離れ、店主の女性の自宅へ行ってしまうのだ。

これまでの流れから考えると、もともと新潟大和の筆耕技士であり、閉店により地下街で自分の店を持ったという店主の経歴から、町の衰退と再生、といった結末へ話を持っていくのが、ドキュメンタリー的には収まりが良いのだが、『小さな旅』は凡人の予想をあっけなく凌駕する。

大ベテランである山田アナの語りは穏やかで、筆耕技士が依頼者の事情や心情を汲み取り、最適の書体と加減で文字を書く職業であることを丹念に説明していく。確かにその繊細な技術には感心したのだが、亡き母を詠んだ依頼者の短歌を色紙に書いた際の「母」という文字に込められた想い、という極めて個人的な話でストーリーが収束してしまった。

その後、筆耕技士の後継者育成という話で、視点は地下街へ一応戻ったのだが、地下街の人間模様からいきなりの方向転換には、少し面食らった。番組自体は丁寧に作り込まれているから、意識して観なければ気にも留めないのだろうが、これは強引だ。

それでも、視聴後の筆者は笑顔だった。34年間、淡々と続いてきた番組が少しだけ揺れて、すぐに立ち戻ったことに。47年続いている『遠くへ行きたい』ですら少しずつ手法を変えているのに、『小さな旅』は『新日本紀行』から受け継いだ、NHK的紀行ドキュメンタリーの流儀をかたくなに守り続けている。

この不思議な退屈さこそが『小さな旅』なのだ。大きな物語にせず、個人の生活風景に留めることが『小さな旅』の矜持なのだ。そのために若干の無理が生じても。