今村や大野のような青年もいれば、壮年の充実した分厚い背中もある。流や山笠振興会の幹部など、山笠全体の責任者を務める60代には近寄りがたい貫禄がある。そして、長老の立ち姿には、 長年山をかいてきた男ならではの枯れた味わいがある。

中洲流の衛生を務める今村信一。「先輩の下支えとして働いたことが今につながっている」(撮影・比田勝大直)

さまざまな年代の先輩から人生を知らず知らずに学んでいくのが、山笠である。

「山笠に出続けている社員は、年齢に関係なく、理不尽なことやめんどくさいことをいちいち正論で返さずに、いったん受け止める力があるんですよね。すごいと思います。こうして伝統を守る、それも長い歴史からみればごくわずかな時間。それに一生懸命打ち込む姿には、人の純粋さが出ると思うんです」

役員秘書の守田有理子がしみじみと言った。

割り切れないのが人生だ。正しいことを貫き通すよりも、割り切れないもの、理不尽なことをのみ込むほうが難しいときもある。そんなことを教えてくれるのも、山笠である。山笠の男たちは強面に反して、実はやさしい。

守田は現在、創業70周年の社史編纂作業を進めている。創業者・川原俊夫の地域への思いを資料で再確認している最中だという。

「大陸から引き揚げてきて商売を始めた時に受け入れてくれた中洲や博多への、恩返しをしたいという思いが、山笠をもり立て、自らも山笠のために汗をかいた俊夫の姿と直結しています。創業者の記憶を地元の方たちが語り継いでくださっている。その重みを感じます」

ふくやの社員は、創業者・川原俊夫との思い出を取引先や顧客から聞かされてきた。オイルショック後、街の勢いに陰りが出た中洲を元気づけるために俊夫が奔走して76年に実現した中洲まつりは、現在も続く。中洲まつりの「中洲國廣(くにひろ)女みこし」では女性が主役となり、中洲流の男たちが祭りを下支えする。

1979(昭和54)年に福岡市の高額納税者番付1位になった俊夫に、当時銀行員だった息子の健と正孝が、節税を勧めてこっぴどく叱られたという逸話は、俊夫の「納税を通して社会に貢献したい」という思いを示すエピソードとして語り継がれている。

創業から続く「地域のために」という経営姿勢は、現場では客先との会話の糸口にもなるという。地域に愛される物語の積み重ねは、ふくやが人々から親しみをこめて「ふくやさん」と呼ばれることにつながっている。