宇宙の話を「豆大福の衝突」にたとえる
わたしも物理を専門に学んでいない一般の人向けに、宇宙の話などをする機会がよくあります。写真や絵はもちろん、身近なたとえ話もよく使います。たとえば、LHC(大型ハドロン衝突型加速器)という巨大な設備で何をしているかということを説明するときに、「加速した陽子同士を高エネルギーで正面衝突させて素粒子反応を実現する」と言ってもよくわからないと思うので、「豆大福同士をビシャッとぶつけると皮がやぶれてあんこが出てくるでしょう。そのあんこの中の小豆が何粒かぶつかる様子を観察する装置です」などとよく説明します。ヒッグス粒子が冷えて宇宙に秩序が生まれたということを説明するときは、「勝手に動き回っている幼稚園児をきちんと座らせるような役割をしているのがヒッグス粒子です」というたとえ話をしたりもします。
暗黒物質(ダークマター)が宇宙のお母さんでニュートリノがお父さんである(かもしれない)、という話もしますね。暗黒物質があったおかげで星とか銀河ができてわれわれが生まれました(だからお母さん)。そしてわたしたちをつくる物質を完全消滅から救ってくれたのがニュートリノだといわれています(だからお父さん)。ちょっと難しい話になりますが、宇宙ができたとき物質と反物質が1:1になっていたら「対消滅」という現象で何もなくなっていたはずなんですね。それが10億分の1だけ物質のほうが多かったので消滅しなくてすみました。そのわずかな不均衡をもたらしたのがニュートリノではないかといわれています。こうした説明は、本来数式で書かれているものを、視覚的・感覚的にわかる言葉に翻訳しているつもりなのです。
この本は、物理や数学に馴染みのない人向けに絵という手段を用いて、数式を使わないで重要な概念を説明しようと試みたものですが、やはり本当に物理をわかろうと思ったら、数学は必要です。
「数学の説明不可能な有用性」
数式というのは考えれば考えるほどすごいものです。わたしたちが日頃使っている言葉は日常生活のなかで生まれたものですから、日常でないものを説明するには不向きです。でも、数式を使うと日常でないもの、目で見えないことも表現できる。人間がつくり出した数式が、人間が知らなかったことや経験したことがないものを記述するときに役に立つというのは考えてみればとても不思議なことです。ノーベル賞物理学者のユージン・ウィグナーという人はそのことについて「数学の説明不可能な有用性(The Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciences)」という論文まで書きました。
その数学という言葉なしに物理の概念を説明するのは、じつはかなり難しいことなのです。絵で見たとしてもその難しさは変わらないでしょう。物理学者にとっては絵と数式はいつもセットで、絵だけ切り離すことはできません。数式が苦手な人のために絵で解説するという試みが、逆に数式のすごさを物語っているというのは、ちょっと皮肉な結果かもしれません。
とはいえ、それで本書の面白さが減じられるとは思いません。この本には、古代から現代に至る物理学の歴史のなかで、なぜそれを理解したいと思ったのか、どんな苦労があったのかという人間のストーリーが書き込まれています。これは物理学の教科書にも歴史の教科書にも丁寧に書かれてはいないところです。いきなり○○の法則とか、△△の方程式といったことを教わっても、それこそ数学の苦手な人にとっては何の興味もわかないでしょう。でも、その数式にたどり着くきっかけや過程がわかれば、物理の面白さを感じてもらえるかもしれない。