「0を1にした人」と「1を1000にした人」
映画では象徴的なシーンがいくつかありました。
たとえば、マイケル・キートンが演じるレイ・クロックが、マクドナルド兄弟(兄役はジョン・キャロル・リンチ、弟役はニック・オファーマン)に対して「もっと店を大きく展開しようぜ」と説得する場面。
クロックは徹底して巨大化をめざすのですが、彼の拡大志向は、人間が商売において持つ1つの本能だと思います。一方、マクドナルド兄弟は、自分たちの創意工夫やテイストにこだわり、店舗数を急拡大する気はない。映画では数店舗にとどまっていた。どちらが良い悪いではありません。クロックとマクドナルド兄弟とではそもそも「目的」が違う。ここが大切な視点です。
あの映画でビジネスパーソンが学ぶことの1つは、マクドナルド兄弟は「0を1にした人」で、レイ・クロックは「1を100にも1000にもした人」です。現在のビジネス社会でも、こうしたケースはしばしばあります。0から1を立ち上げるスタートアップの起業家と、大企業に成長させる産業家は違うことが多いのです。
52歳で「マクドナルド」と出合ったクロックですが、それまで常に成功することを考えていました。自伝ではピアノ演奏をしていたり、ペーパーカップを売っていた過去も披露しています。映画でも安モーテルに泊まり、自己啓発テープを聴いて自分を鼓舞するシーンが描かれています。そんな彼が出合った「ハンバーガー」は、これこそ成功への道だとひらめいたのでしょう。メニューそのものよりも全体を運営する効率的なシステムに魅力を感じたわけです。
ただし、クロックは「一発うまいことやって儲けよう」という人ではありません。自分の商売に全身全霊、真剣に入れ込む人です。クロックが会員だった地元の社交クラブで、クラブ仲間にFC(フランチャイズチェーン)店の加入を誘います。仲間はカネさえ儲かればよく、現場で汗をかきたくないので、運営した店の商品も接客レベルも悪化します。そんな彼らにクロックは真剣に怒る。「一発屋」ではなく、「インダストリアリスト(産業家)」なのだと気づかせてくれます。
天国で3人が出会ったら
「判官びいき」が好きな日本人の心情では、「マクドナルド兄弟がかわいそう……」と思う人もいると思います。情緒的にはそうですが、ここでは経営的に考えてみましょう。
自分たちが考案したハンバーガーショップについて、マクドナルド兄弟は“これ以上の店舗展開はむずかしい”と思っていました。もしレイ・クロックがいなければ、店舗規模はどうなっていたか。地域の人気店となっても、世界中はおろか全米に展開するような店にはならなかったはず。今や「マクドナルド」は、世界約120もの国や地域で展開し、世界各国の総店舗数は3万店以上もあります。
クロックに経営権を譲渡した契約では、マクドナルト兄弟は「The Big M」(ザ・ビッグ・エム)という名前に変えてハンバーガーショップを続けてよいことになっていましたが、現在、兄弟が手がけた店は残っていません。
3人ともに故人となった今、もし天国で出会ったら、マクドナルド兄弟はクロックに対してどう感じるのでしょうか。僕は、世の中に対するインパクトなどを考えると、兄弟も「クロックが大きくした現在の『マクドナルド』の方がよかったかもな……」と言う気がします。