その背景に、アメリカが1990年代半ばから生みだした巨大な過剰流動性がある。アメリカの経常赤字と財政赤字をファイナンスするために、アメリカへの世界からの資本流入が必要であった。いわば、ドルをばらまいてアメリカは世界中から借金をしたのである。その絶好の道具がアメリカ発の証券化商品であり、企業貸付関連商品だったのである。それを世界中に買わせて、その後で価格が暴落した。それは結果として、アメリカという国全体としては、巨額の借金棒引きをさせたようになっている。

もちろん、その代償としてアメリカの税金を使ってアメリカの金融機関の救済に乗り出す必要がある。しかしそれとても、10月14日のブッシュ大統領の声明では当面の資本注入が約2500億ドル、救済全体で約7000億ドルという。欧州諸国が用意しているという資本注入が約3700億ドル、救済全体で約2兆6000億ドルという金額よりかなり小さい。

銀行への資本注入が金融危機に陥った国で必須となるのは、97年の日本と同じ理由である。銀行は、一国の金融システム、とくに決済システムを預かっている。それが崩壊すると、貨幣を媒介に取引する市場経済そのものが崩壊する。だから、銀行にとって決済システムは、銀行の社会への貢献であるがゆえにいわば政府に対する人質にもなっている。そこで、最後には政府の救済が出てくるのである。おそらく、そういう基本性格をもった銀行産業を市場原理で徹底的に動かそうとすること自体に、無理がある。政府の規制がもっと強力に入らざるをえない産業なのである。

基軸通貨国アメリカの金融規律のなさに、あるいはその国の金融機関の規律のなさに、そしてその規律のなさを世界にばらまく市場原理主義に、世界が振り回されている。その揚げ句、欧州のほうがアメリカより巨額の資本注入などの救済をしようとしている。それはあたかも、銀行を政府の強いコントロールの下に置こうとする、欧州の意図の表明のように見える。

資本市場、あるいはそもそもカネというものは、下手をすると暴力装置にすぐ変わる。バブル期の日本がそれを経験した。今、世界がそれを経験している。