朝起きてから夜寝るまで、仕事以外のほとんどの時間を「755」に費やした。見城氏のコミュニティに集まった260万人と真剣に向き合い、すべての書き込みにスマホで返信する。いつの間にか「見城徹の千本ノック道場」の呼び名がつき、「755」での見城氏の発言をまとめた書籍まで出版された。のめり込んでみて学んだのは、異業種交流会やパーティーと同様、SNSでのつながりも錯覚にすぎないということだった。
「SNSではまともな人付き合いはできないよね。僕は見城徹の名前を背負い、責任をもって言葉を吐き出してきたけれど、一般の人はほとんどが匿名だから、発言も無責任。真摯な人はごくわずかだよ。血の流れも、鼓動も伝わらない人と、濃いつながりができるわけがないよ。余分な時間が増えて、身動きがとれなくなるだけ」
不特定多数の人が集まる場には興味がない。大物との交流、大きなビジネス……見城氏の始まりはいつも手紙だった。
見城氏曰く「感想こそ、人間関係の最初の一歩」。まだ25歳の新人編集者時代、雲の上の存在だった作家五木寛之氏の連載を獲得するため、作品の感想を手紙にして送った。新作が出たら5日以内に手紙を出すと決めると、連載小説から新聞の小さなエッセイ、対談など、あらゆる作品が出るたびに感想をしたためた。
「まずは発表日から2日で読み切る。付箋をつけ、線を引いてね。前の作品も調べて、2日で感想を書いて、5日目には届くようにするわけだから、大変ですよ。死に物狂い」
17通目でやっと五木氏から返事があり、25通目で念願叶って初対面を果たす。すぐに連載『燃える秋』が始まり、書籍化、映画化されて、大ベストセラーとなる。「幻冬舎」設立時には、社名の名付け親にもなり、同社で『大河の一滴』をはじめとする数多くのベストセラーを見城氏に委ねてきた。あとになって、五木氏が「あそこまで自分の作品を読み込み、ものを言ってくれる手紙はほかにない」と感じていたと聞いた。
「相手にとって新しい発見や刺激をもたらす感想じゃないと、伝える意味がない。見城と仕事をすると自分の仕事がもうワンランク上に行くかもしれない、と感じてもらえれば成功だよね。政治家、スポーツマン、芸能人、どの業種でも、『その世界の3人の大物と3人の輝く新人を押さえろ。信用されろ。関係を築け』と、僕はいつも言っている。3人ずつ押さえたら、無理に人脈をつくらなくても、その中間の必要な関わりは自然と広がりますから」