できる親がしている、上の子と下の子の格差をなくす方法

【はじめに】

「どうして、親の言うことを聞かないの?」
「こんな風に育てたはずじゃ……」
こんな言葉を子供に伝えてしまったり、思ったりしたことはありませんか?

親はしばしばこう思います。育て方の方針もそれなりに持ち、きちんと育ててきたはず。「しつこく」「何度も」「自分も子供も嫌になるぐらい」言い続けたはずだ、と。

しかし、残念ながら子供は親の言ったようには育ちません。また「上の子供はすんなりいったのに、下の子供は全く逆」というケースもよくあります。同じ育て方をしたはずなのに、なぜでしょう。単なる「運」なのでしょうか。

本当の理由は、子供が「集団の位置付け」によって成長をするからです。上の子と下の子、育つ環境は同じですが、自分自身の位置付けへの自覚が大きく異なる場合があるのです。

集団における自分自身の位置づけ、自己認識の在り方が大切であることは、2016年の大ヒットベストセラーである、中室牧子氏の著書『「学力」の経済学』でも指摘しています。本稿では現場教員の目から、学校と家庭での「子供の位置付け」について考察していきます。

【1.集団の中の位置付けで決まる自分の能力】

学校を例に見てみます。私は現在、国立大学の附属小学校に勤務しています。附属小学校のイメージ通り、テストの平均点は全体的に高めです。これには親の教育への意識が高かったり、塾に通っている子供が多かったり、さらに学校の授業でも各教科を専門に勉強している教員が教えていたりと、成績優秀の背景・理由はいくつかあります。これという1つに絞ることはできません。

私が不思議に思うのは、高い学力を誇る子供がみな自信満々かというと、そんなことはないということです。むしろ、客観的にみてかなり優秀な成績の子供であっても、「自分は勉強が苦手だ」と思っていることが少なくありません。

自分は勉強が苦手だと子供が認識するケースは他にもあります。例えば、公立校でも、またまたよく勉強ができる子の多い学級の場合、学級内の平均点は高くなります。そうすると、学年平均や全国平均くらいの点数を取っても、学級内では「平均以下」ということになります。自然と「自分は勉強が苦手な方」という認識になります。

苦手意識を持つ原因。そのひとつは、人間はどうしても身近な存在と比べてしまうということにあります。例を挙げると、自分がいわゆる「セレブ」でないなら、本気でセレブと比較しません。

自分とは直接関係のない、TVの中の遠い世界という認識です。海外のセレブの生活を見て「いいなぁ」と思うことはあっても、そこに強い劣等感は抱きません。

それよりも、隣の○○さんの家がリフォームしたとか、同僚が早く出世したとか、そういう身近な関係の人との比較の方が現実的で切実です。「うちもそろそろかな」とか、「自分もがんばらないと」とか考えます。あるいは「うちはボロ家だ」とか、「どうせ自分なんか」と劣等感を抱きます。冷静に考えれば、いかにも視野が狭く、正しい判断とは思えません。

先の学力の話に戻れば、仮に学級内では平均点以下でも全国平均程度であれば、「まあ、よくできた」と認識してしても悪くはないのです。もっとも理想的なのは、後述するように比較する対象を他者ではなく、自分にすればこのような「誤認」は起きません。

よりよい家庭教育を考える上でも、この「集団の位置付けで自己認識が決まる」という前提を押さえることが第一です。