子供に劣等感を植え付けてしまう「親の言葉」
【6.家庭では子供自身に良い位置付けをさせる】
前述したように学校ではどうしても人数がいるため、比較対象が出てしまいます。一方、家庭内には比較対象が少ないです。そんな状況でも「お兄ちゃんの○○はいい成績なのに、(弟の)お前は……」という台詞を吐いてしまうのは、少しでも比較すれば奮起して伸びるという「誤認」によります。
一方、一人っ子なら、比較対象ゼロです。それにもかかわらず、比較してしまう親も実在します。どう比較するのかと言えば、親が自分の子供時代と我が子を比較するのです。
兄弟姉妹間の比較がないことをマイナスととらえているのかの如く、自分自身を比較対象とする。それによって我が子を下げる可能性が高まります。「お父さんは、小学校の時、いつもクラスで1位だった。それなのにお前は……」といった、前述と同様の台詞を吐いてしまうのは、高学歴の親に目立つようです。
また、子供を叱咤するつもりで言うのか、母親も「そんな成績なら、将来、うちのお父さんみたいになっちゃうよ」。これはもう、最悪の教育です。子供にとってのルーツである父親を下げて、健全な自尊感情が高まるはずがないのです。
家庭内での子供の位置付けは、自分自身にさせます。相対評価ではなく、絶対評価です。
「自分は大丈夫」と思えるよう自尊感情を高めていくことで、集団によらない自分の位置づけができます。比較によらない健全な自己イメージを植え付けていく必要があります。
そのためには、日常の声かけが命です。親から子供への声かけ。これが重要です。
例えば、子供がまだ小さい時、描いた絵を見せにきたら、「○○を描いたのね」「素敵」「楽しいね」など、肯定的なイメージがする声かけをしたのではないでしょうか。この場合は「上手ね」もありで、これは評価というより事実認識です(絵の出来栄えは問わず、『上手ね』ということ)。子供が描いた絵はすべて「上手」なのです。
小学生・中学生に対しては、この声かけを少し応用すればいいのです。
子供のしたこと、作ったもの、できたこと、またはできなかったことも含めて、ひとつずつを認めていくことです。受け止めるのです。すると、家庭内で評価や比較をされないと認識した子供の心は、安心し安定します。子供のすることを何でも「良い」とすることではありません。それは評価です。あくまで、認識を促します。
【おわりに】
以上述べたことは、「言うは易く行うは難し」です。とはいえ、親が知らずに無策で対応すれば、必ず感情が優先します。感情に支配されれば、家庭内の兄弟姉妹間での比較は横行し、子供たちを「すべては親の命令下」に位置付けることになります。
子供が自分自身に自信を持ち、かつ他人からも認められる。そんな子供に成長することを願うなら、家庭内での位置付けが極めて大事になります。適切な自尊感情を持ち、家族もリスペクトできる子供は、社会に出ても輝きを放ち、社内外の人々や恋人などを尊重するようになるでしょう。
子供は「育てる」より「育つ」。
子供を願う方向に「育て」たいなら、子供自身の認識を変えて、「育つ」ようにする方が賢明かもしれません。