「米軍の機動力は確かに凄いですよ。でも、それ以上に、こういうことをいえる人がいることが、日本に長く駐留する意義だと思う。一番大事なのは、諸々のバリアの“存在を知っている”人がその場にいることです」(笠松氏)
4月13日、羽田発の便が着陸した。そこかしこにまだ傷跡は残るが、「夏休み直前の7月25日までに、国内線の処理能力を震災前に戻す」(伊藤社長)。が、笠松氏も、空港ビルにゴミ一つ残さず去った米軍の指揮官たちも、この着陸の光景を直接見ていない。
「自分の部下ながら海兵隊員の俊敏な動きには感心したし、日本の方からもインスピレーションを得られた」
そう振り返るコゼニスキー氏は、この7月に日本を離れるという。
「いつか航空券を買って、仙台空港に行きたい。そしてレンタカーを飛ばし、自分が仕事をした場所を回りたい」
笠松氏も胸に迫るものがあるようだ。
「米軍の方からたくさんメールが来ました。『民間機はいつなんだ』『13日だ』『セレモニーはやるのか』『いや』『テレビは何時からだ』『16時だ』『ありがとう。かみさんと一緒にビールを飲みながら見て祝うぞ』。特殊作戦コマンドの一人は、『俺たちがいたことは、誰にも知られなくていい。だけど、最後まで見届けたい。今日は一人だから、ビールを飲みながら民間機が飛ぶのを見る』って」
※すべて雑誌掲載当時
(初沢亜利=撮影)