なぜ、これだけ円滑に進んだのか。
「皆の思いが一つであったことが大きい。ただ、いろんなアクターが動くので、誰かが調整してベクトルを一つの方向に向かせないといけない」
皆があちこち別方向を向いているのが最も危険だ、と笠松氏はいう。
「最も困難なのは、そこにある数々の“バリア(障壁)”を克服することなんです。言語のバリアがその代表。他のバリアに比べれば小さなものですが」
調整会議は、時折通訳を交えつつすべて英語。現場はツールが仲立ちした。
「米軍の皆さん、けっこう日本語ができるんですよ。しかもみんなiPadを持っていて、英語で打ってピッと押すと日本語に変換され、iPadに向かって日本語で話すと、今度は英語に変換される」(北原氏)
では、厄介なバリアとは何か。
「発想や文化の違い、つまりカルチャーバリアを克服するには非常に時間がかかります」(笠松氏)
笠松氏がここを強調する理由は、自身が目にしたパキスタンでの経験による。救援のため一番乗りした米軍の兵士は、ムスリムの国にもかかわらず、土・日を休日にしたうえに上半身裸でキャッチボールに興じていたという。
「極端な例ですが、あれなら米軍は来なかったほうがよかった」(笠松氏)
しかし、今回の米軍は違った。米軍側がトップダウンで走り出す米国流を封印し、すり合わせつつ事を運ぶ日本流の作業の進め方を尊重したのだ。
「被災者でもある空港の人たちに挨拶するとき、彼らは握手でなくお辞儀をするんです」(笠松氏)
ある日の調整会議で、海兵隊の若い指揮官が「こうしようぜ」と、車の残骸のより効率的な処理法を提案した。しかしそれは明らかに、他の人たちの作業に大きな方向転換を強いるものだった。「待て。我々にとっては廃棄物でも、オーナーがいるものだ。日本流に扱え」といってその指揮官を制したのはコゼニスキー氏だった。