本件の顛末を言えば、編集部との折衝を重ねるなかでX社側の姿勢は軟化し、記事の掲載を事実上黙認した。だが、その狼狽ぶりは私たちが気の毒に感じるほどだった。かつてX社は台湾を代表する名門企業として名を馳せ、今なお日本円換算で兆単位の資産を保有する巨大な財閥である。そんなX社が、海外の経済誌のわずか数百字程度の記述に震え上がり、億単位のカネを支払ってまで刊行の差し止めを検討する──。

鴻海による訴訟リスクは、これほど恐るべきものなのであろうか。

鴻海の「訴訟好き」の背景にあるのは、同社の充実した法務部門だ。

鴻海はまだ中小企業だった1985年、コネクタ製品の特許侵害で訴訟を起こされたのを機に法務部門を整備。今世紀に入ってからは、全世界で500人以上の人員を揃え、平時は主に特許申請や投資・M&Aの戦略策定を行わせている。この巨大な法務部門が、いざ自社に不都合な報道に直面した際、メディアに容赦なく牙をむくというわけだ。

『野心 郭台銘伝』(安田峰俊 著・プレジデント社刊)中国との蜜月、強烈な身内愛、すべての謎を解き明かす渾身のドキュメント。

もちろん、鴻海のメディア嫌いにはある程度の理解すべき理由も存在する。EMS企業である同社は、アップルのiPhoneシリーズをはじめ多数の世界的メーカーの最先端製品の受託生産を手掛けているため、極めて慎重な機密保持が求められる。また、従来の鴻海が一般消費者の「目」をあまり意識せずにビジネスを行うBtoB企業だったことも、メディアに対して世論の反発を気にしない強権的な姿勢を取れる一因と見られる。しかし、今年8月以降の鴻海は、一般消費者向けの国際ブランド・シャープの主となった。従来のような強面(こわもて)一辺倒のメディア対策は、ブランド展開のうえで必ずしも得策とは言えないだろう。

戴正呉体制のもと、シャープは新たな姿に変わりつつある。だが、一方で鴻海へも、一般消費者や各国の世論を意識した企業姿勢への変化が求められてゆくはずだ。

※本誌が取材で知り得た証言に関し、郭台銘氏、フォックスコンへ事実確認およびコメントを幾度も求めているが現時点で回答はない。

安田峰俊
ルポライター。多摩大学経営情報学部非常勤講師。広島大学大学院在学中、中国広東省の深.大学に交換留学。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について執筆を行う。著書に『和僑』『境界の民』、編訳に『「暗黒・中国」からの脱出』など。
(時事通信フォト=写真)
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