中国景気の減速懸念や英国のEU離脱決定、為替の急激な変動など、厳しい経営環境が続く。新しくトップに就任した男たちは、この逆境にどう立ち向かうのか。

鬼軍曹が大号令、「営業の日興」復活へ

長期のマイナス金利、イギリスのEU離脱による市場の不透明さ、フィデューシャリー・デューティー(受託者責任)の徹底など、取り巻く環境の変化が激しい証券業界。預かり資産国内3位のSMBC日興証券が、新社長のもと、攻めの戦略に転じている。
――社長に選ばれた理由は。
SMBC日興証券代表取締役社長 清水喜彦氏

【清水】現在を経済環境が激変する“乱世”と捉えている。乱世には、決断力のある人間がトップに立つ必要がある。奥(正之、現SMFG会長)さんからは「おまえはスピードがあって、決めるところは決める」と送り出された。

これまで取引先はもちろん、上司、同僚、部下と、「人」に恵まれてきた。「清水には、秘書の仕事は絶対にできない」とよく言われる(笑)。猪突猛進な私をフォローしてくれる部下たちのおかげで、いまの私があると思っている。

――キャリアのスタートは住友銀行(現三井住友銀行)からです。

【清水】リクルーターだった宿澤(広朗、元専務・元ラグビー日本代表監督)さんと出会い入行した。それ以来、私が問題を起こすと、外国からでも叱りの電話を入れてくれた。兄貴分のような存在だった。

――法人営業担当時代、「鬼軍曹」と呼ばれていたと聞いた。

【清水】一貫して法人営業畑を歩んできた。合併で三井住友銀行ができるときに頭取だった西川(善文、日本郵政初代社長)さんが支店長だった時代には彼に仕え、俯瞰的視野と常識にとらわれない法人開拓の手法を学んだ。当時から心がけていることは、必ず「現場」を自分の目で見ること。

あるとき、数千億円の融資先である大口顧客に不祥事が発覚した。

株価が10分の1まで暴落して、行内の規則に準じれば、すぐに株式を売却しなければいけなかった。しかし、それは、その企業を見捨てることを意味していた。

当時取締役だったが、私は実際に工場に行き、その企業の技術力の高さと人材の優秀さを知っていた。だからこそ、経営会議で「株は売却すべきではない」と説き、企業支援に奔走した。ただ、規則に従うだけなら、経営陣の存在意義はない。