人間の歴史は失敗の歴史。同じ轍を踏まぬよう学べ

現実主義のこの古典から何を学べばよいのか。冷静な判断と慎重な対応、この二つである。

「およそ人の患(うれ)いは、一曲に蔽(おお)われて大理(たいり)に闇(くら)きにあり」(解蔽(かいへい)篇)

人間の通弊は、ものごとの一面だけを見て、全体を把握できないところにある。

なぜこんなことになるのか。荀子によれば、偏見によって心が惑わされるからだとして、こう語っている。

「心が惑わされるのは、好悪の感情に左右されるからである。始終、遠近、広狭の一方にとらわれるからである。過去、現在の一方にとらわれるからである。一面だけにとらわれると、心が惑わされて大局的な判断ができなくなってしまう」

それを免れようとするなら、自覚的な努力によって、頭は常に柔軟にしておかなければならない。

「前車已(すで)に覆(くつがえ)るに、後(うしろ)いまだ更(あらた)むるを知らず、何(なん)ぞ覚(さと)る時あらん」(成相(せいそう)篇)

前を走る車がひっくり返っているのに、後からついて行った車が進路を変えようとしない。いつになったら気づくのだろうか。

人間の歴史は、失敗の歴史だと言っていいほど数多くの失敗を演じてきた。後に続く者はそれに学んでほしいのだという。

だが、こういう忠告にもかかわらず、後に続く人間は性懲りもなく同じ失敗を繰り返してきた。学習効果はあがっていない。

経営についてはどうか。

成功の体験やノウハウは、その人独自のものが多く、学ぼうとしても学べるものではない。その点、失敗の原因はおおむね共通している。

しっかり学んで、同じ轍を踏まないようにしたい。

※本連載は書籍『ビジネスに効く教養としての中国古典』(守屋洋 著)からの抜粋です。

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