事業イノベーションを推進するとき、経営者は2つの「心」を意識しなければならない。
1つは「顧客の心」。顧客が本当に求めているものは何か。それを正しく知ることなしに、イノベーションを成功させるのは難しい。そして、もう1つは「社員の心」。社員は、イノベーションに対して肯定的なのか否定的なのか。彼らの心模様が、その成否に強く関わることも、また言うまでもない。
岩田が、DSやWiiの成功で見せたのは、この「2つの心」への認識と対処の能力(EQ)の高さであったように思う。顧客や社員の心理を正確に読み解き、期待する方向へと動くよう誘導する。その誘導力こそ、彼の最大の成功要因であったと推測する。
Wiiの開発で、彼がまず対応を迫られたのは、「普通のユーザー(顧客)のゲーム離れ」という事態であった。1990年代後半以降、高度化するゲームの流れについていけず、マニアでないユーザーは、急激にゲームから離れつつあった。
岩田は、その「普通のユーザーの心」を正確に見通し、次々に手を打つ。たとえば、複雑化し、近寄り難いものになったコントローラー。彼はこれをワイヤレス化と直感操作という2つのキーワードで、テレビのリモコンと同程度の扱いやすさに改善していく。
また彼は、本人だけでなく「家庭内の心理」までも見通して、ユーザー離れを防ごうとする。Wiiの開発コンセプトの1つが「お母さんに嫌われない」であったことは有名だが、場所ふさぎのハードや、夜中のファン音などに辟易する「母親の心」を見通し、省スペース・省電力・静音に十分な配慮をしたことも、Wiiの成功要因となっているのである。
もちろん、このような「顧客の心」を見通した対応が迅速にできたのは、社員の協力があったことによる。それなくしては、彼とて何もできなかったであろう。しかし、それは容易なことではなかったはずである。若輩の外様社長の意見を、古参社員らが素直に聞いたとは、ちょっと考えにくい。
にもかかわらず、「社員の心」が一つになり、彼を後押しした理由は何か。もちろん任天堂のDNAも寄与したであろうし、天才開発者・宮本茂ら、盟友たちの支援も、大きく貢献したことであろう。
しかし、やはり最大の要因は、社員の心を見通して対処するリーダーとしてのEQの高さであろう。
「どの程度たいへんかということを漠然と知りつつも、『何とかなる』という前提でいるんです。リーダーってそうじゃなきゃいけないんですよ。『何とかなる』という前提ですべてが動いているからこそ、みんなが『なんとかしなきゃ』って思うんです」(糸井重里氏HP『ほぼ日刊イトイ新聞』内対談より)
社員の中にある否定的な気分を、ビジョンや目標の明確さ、その実現を信じる信念の強さで払拭し、前に進ませる。そうした力を、彼は持っていたのである。