「縦割り、部門断絶」という慢性のビョーキ
一連の発言から見えてくるのは、セクショナリズムと責任の所在が極めて曖昧であることだが、じつはすでに過去に指摘されていた。
同社は2004年にリコール隠しを受けて「事業再生委員会」を設置し、国内外の社員、販売会社、調達パートナーの350人超にインタビュー調査を実施している。
それをまとめた「事業再生委員会の活動状況について」(2004年6月29日)の中に「従業員インタビューの要約(生の声)」が掲載されている。
これまでの問題点について、組織に関しては「縦割りで、部門が断絶」。人事に関しては「責任の所在があいまいで、信賞必罰を徹底できない。人事異動が少なく、適材適所が実現できない」と指摘している。
さらに企業風土に関しては「『たこつぼ文化』のため、上を見て、発言を控える傾向あり」「危機感が希薄、社員が自立していない」と指摘している。
こうした反省を踏まえて、05年1月に「三菱自動車再生計画」を発表し、社員の意識改革を含む様々な取り組みを実施したはずだった。
だが、責任の所在の曖昧さ、たこつぼ文化=セクショナリズムの体質は依然として変わっていなかったということだろう。
上がいくらコンプライアンスや企業倫理を叫んでも、末端の現場では燃費の偽装は止まることなく続けられた。
それはなぜなのか。
推測するしかないが、責任所在の不明確さとたこつぼ文化の体質が社員の中に「タテマエ」と「ホンネ」の使い分けるように作用することがある。
つまり、トップの声が届かないような隔絶された現場で日々、燃費試験をクリアするようにプレッシャーを受けている社員にとっては「従来の測定のやり方は間違っています」とは言いにくい。
逆に「上はコンプライアンスだのなんだのと言っているが、ホンネは違うのではないか。今のやり方を続けることを追認してくれるのではないか」という気持ちが働きやすい。
その結果、相川社長が言うように「これでいいんだと思ってやり始めたのが、そのまま伝承されて、疑われずにやっていた」のかもしれない。
じつはこうした社員によるタテマエとホンネの使い分けは珍しくはない。2000年初頭に大手銀行の合併で誕生したメガバンクでは、両行のトップは対等合併を強調し、人事に関しては特定の銀行に偏ることのない公平人事を宣言した。
だが、現実には実質的に力を持つ銀行の行員による弱い立場の銀行の行員に対するあからさまな嫌がらせや追い落とし策が横行した。合併人事のコンサルティングを手がけた外資系コンサルティング会社の幹部はこの現象についてこう分析していた。
「力を持つ銀行の部・課長クラスの人間にとっては、上の幹部たちは表向き対等と言っているが、本当は我々のポストが増えることを願っているはずだし、自分たちのやっていることを認めてくれるに違いないという思いがある。いくらトップが言葉だけを強調しても、組織風土の抜本的な改革や公平な人事の仕組みがなければ、末端では機能しないことがよくある」
経営トップが叫び、形だけのガバナンス改革を実施しても「じつはホンネではない」と社員に疑われるような土壌があると、社員の暴走を許してしまう。
もちろん社員自身の保身の気持ちもある。やっていることが正しくないとわかっていても「これは間違っている」と言ってしまうと、今の地位や報酬を失ってしまうという恐怖も抱えている。
誰がどんな仕事や役割に責任を持っているかという責任の所在が曖昧であればあるほど、自己保身の感情に駆られるものだ。
部門別セクショナリズムが温存され、かつ責任所在の不明確な組織風土では、現場の暴走を許すことはあっても、決して悪い情報が上に上がってくることはないのだ。