予測できなかった「本震」

2016年4月14日のM6.5から始まった熊本県を中心とした地震活動は16日未明のM7.3の地震発生を受け、近代的な地震観測が開始してから、最大規模の内陸地震(いわゆる直下型地震)活動となっています。特に震源域が阿蘇地方や大分県にまで拡大し、通常の本震-余震というパターンでは説明できなくなっています。

これまで、研究者は将来の南海トラフ沿いの巨大地震における連動可能性についてはメディアを通じて言及していましたが、内陸地震については、そのような啓発活動は行われてきませんでした。特に気象庁が4月14日の地震発生後に「今後も大きな揺れを伴う余震活動に注意」という発表だけで済ませてしまった事は大いに悔やまれる事となりました。

特に15日未明にM6.4という地震も発生しており、通常本震と最大余震とのマグニチュードの差は1程度あるのが地震学における常識なのですが、この段階で今後さらに大きな地震活動(後日、本震と認定されたM7.3の地震)が発生する可能性に言及できたはずです。実際、14日の地震の後に、「もう余震だけで大きな地震はこないだろう」との判断で、ご自宅にお戻りになりお亡くなりになった方も多かったと推察されます。

南海トラフ沿いの巨大地震では、南海地震と東南海地震や東海地震の連動が過去に何度も記録されていますが、内陸地震では、戦国時代末期の1596年9月1日、後に慶長伊予地震(M7程度)と呼ばれるようになる地震が発生しました。今の愛媛県で大きな揺れとなった地震です。さらにその3日後の9月4日には慶長豊後地震(M7以上と推定)、その翌日の5日には慶長伏見地震(M7.5程度)が発生しています。この地震では完成したばかりの伏見城の天守閣も倒壊しました。

3つの地震が連続した慶長の地震と断層の分布。左下オレンジの円は今回の熊本地震。産総研の活断層マップに加筆。

いわば四国を東西に横切る中央構造線沿いと、京都付近の有馬-高槻断層帯で3つの地震が連動したのです。これらの地震は今では慶長の地震と呼ばれていますが、実は当時の元号は文禄でしたが、このような地震の多発等により文禄から慶長へ改元されたのです。今後もこのような事が起きないと断言する事はできません。