創業時はわずか12部屋、70年前の一念発起
【弘兼】どうしてそこまでやるのか、その歴史を教えてください。
【小田】私どもは今年で創業108年を迎えますが(雑誌掲載当時)、和倉温泉の中では他所から移ってきた新参者でした。元々は金沢市の近く、富山県との県境にある津幡町の出身です。農家だった曾祖父が、農閑期の湯治に通ったことがきっかけでした。田畑を売り、旅館を買い取り、108年前に加賀屋を始めたのです。最初はわずか12部屋の粗末な旅館でした。
【弘兼】なるほど。かつて石川県は北部が能登、南部が加賀と呼ばれていましたが、だから能登にあるのに「加賀屋」なんですね。
【小田】ええ。サービスの原点としては、祖母の小田孝が女将だったころの失敗談があります。
70年ほどまえ、地元企業の幹部や取引先などが、加賀屋を含めた和倉温泉の4つの旅館に分宿することがありました。当時、和倉温泉には船で来るお客様が多く、船着き場でお迎えするのは旅館の大事な仕事でした。その日も祖母はいつものように出迎えに行ったのですが、まだ船は着いておらず、ほかの旅館の人間もいなかった。そこで宿に戻り、子どもに授乳していると、眠り込んでしまったのです。目覚めたときは、船が着いた後でした。
一番の新参者で、粗末な旅館の女将が、最後に迎えに来るとは――。お客様にはひどく叱られたそうです。祖母は2年前に見合いで嫁いできたばかりで、どこかに「自分は素人だ」という甘えがあった。「これからは、ふんばって、何が何でも一流の旅館にならなければ」。そう一念発起する出来事になりました。
【弘兼】その失敗が、現在の「おもてなし」の原点になったのですね。
【小田】はい。失敗から学ぶべきだ、という姿勢はいまも変わっていません。加賀屋には年間約2万5000通のアンケートが寄せられるのですが、そのすべてに目を通し、担当者が分析を行い、客室係に回覧しています。1人ひとりのお客様にしっかりと喜んでいただくというのが我々の生命線だと思っています。