まだまだ少ないプロ選手

もちろん、澤本人は夢中でサッカーに打ち込んできただけである。日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)が発足したのが1989年。90年代は観客がほとんどいない会場で試合をしていた。なでしこジャパンの人気で一時は観客もスポンサーも増えた。「環境を変えたいと思ってプレーしていましたか?」と聞けば、澤は少しはにかんだ。

「女子サッカー界を変えたいという思いよりも、少しでもいい環境であってほしいなという気持ちでやっていました」

環境は改善されたとはいえ、このところ、なでしこリーグの観客数は伸び悩んでいる。選手の待遇も、プロ選手主体は澤が所属するINAC神戸くらいで、他のチームの多くの選手は仕事をしながらサッカーをしている。男子と比べると、まだまだ女子選手を取り巻く環境は厳しいのである。

澤はもちろん、環境の改善を願っている。「私の所属のINAC神戸では、プロとして昼から練習をさせてもらっています。そういったチームがひとつでも多く生まれることが、日本女子サッカー界にとって、今後の課題だと思います」

いっそうの環境改善のためには、なでしこジャパンが五輪、W杯で活躍し続けることが必須だろう。さらにいえば、澤が日本女子サッカーの「顔」として、なでしこリーグの価値を高め、運営基盤を確固たるものにしていく役目を担うのではないか。

マーケティング的にみれば、女子サッカーはまだ発展途上。引退後の澤穂希にしかできない仕事、それは日本女子サッカー界のリーダーとしてのかじ取り役である。

松瀬 学(まつせ・まなぶ)●ノンフィクションライター。1960年、長崎県生まれ。早稲田大学ではラグビー部に所属。83年、同大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。著書に『汚れた金メダル』(文藝春秋)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)、『一流コーチのコトバ』(プレジデント社)、『新・スクラム』(東邦出版)など多数。2015年4月より、早稲田大学大学院修士課程に在学中。
(AFLO=写真)
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