安保関連法案では与党にすり寄ったのではない

【塩田潮】参議院議員5人の「日本を元気にする会」は、今年の通常国会での安全保障関連法案の審議では、法案修正を唱え、最終的には修正は実現しなかったものの、主張した修正案を安倍晋三内閣で閣議決定に持ち込ませました。

【松田公太(日本を元気にする会代表・参議院議員)】国論を二分したテーマでしたが、私は集団的自衛権の一部行使容認については基本的には賛成だったんです。ところが、5月に国会に提出された法案を見たら、たとえば存立危機事態という新しい概念をつくったり、ホルムズ海峡での掃海などが可能になるという内容で、ちょっと憲法の範囲を超えている思い、反対しなくてはならないと考えました。

松田公太氏(参議院議員・日本を元気にする会代表)

党内も反対と賛成に割れていました。それでネット番組をつくったのです。われわれは賛成論と反対論の両方の有識者を呼んで議論する内容にしましたが、その過程で、法案修正というアイデアが生まれた。衆議院での強行採決を見ていて、参議院で何ができるのかということになり、国会として歯止めを、といった話になったとき、新党改革の荒井広幸さんが「事前チェック」と言い出した。入り口は同じ考え方でしたから、われわれは荒井さんのところに行って「一緒に」という話をした。そこから動き始めたんです。

うちの党にも「廃案しかない」と言う人もいましたが、どこかが修正をかけないと、法案は歯止めのないまま通ってしまう。われわれでやろうという話になり、「修正します」と発表した。与党側は初め「付帯決議で納得してくれ」と頑なに言っていたけど、「閣議決定に」というところまで持ち込んだので、それでよしとした。閣議決定では、修正案をそのまま使うことになったんです。

われわれはもともと是々非々主義で、修正案も是々非々だったわけです。周りから与党にすり寄ったとか、安倍政権に与したとか言われましたが、全然そういう気持ちはありません。あれは絶対に歯止めになっています。そういう思いでやったわけです。

【塩田】日本を元気にする会は、旧みんなの党の解党後、2014年12月に結成されましたが、なぜこの党名に。

【松田】結党の前、無所属のまま参議院で会派をつくり、私が会派の代表となりました。会派結成のとき、インスピレーションで「楽しくやろう、日本を元気にする会」と言いましたが、それが結党で党名をどうするかというときにみなさんから「意外によい。噛めば噛むほどいい感じ」と言われ、「日本を元気に」は理念としても共通していたこともあり、そのまま政党名としたんです。

実は、私が2010年に参院選に出馬したときに掲げていたキャッチフレーズが「楽しく元気にジャパン」でした。海外で育って、日本はちょっと変わった国という間違った印象を持たれていることを感じることがあり、非常に残念だったので、日本は素晴らしい国だと打ち出したかったのです。また、その頃は民主党政権で、デフレが悪化し、首相が毎年、交代する状況だったので、日本を元気にしたいという気持ちも強くありました。

【塩田】松田さんが党首になったのは。

【松田】みんなの党解党のとき、私は中立的なポジションにいて、解党時の代表の浅尾慶一郎さん(現衆議院議員)、初代代表の渡辺喜美さん(元行政改革担当相)の両方と話ができるのは松田さんくらいしかいないから交渉してほしいと言われ、両者と話し合いを行いました。ですが、埒があかない状況に陥ってしまっていたため、私からみんなに「解党しかない」と切り出したのです。そして、政党助成金も残った分は全部、国庫に返納を、という話でまとめようとしたのです。最終的に渡辺さんも「わかった」と言って、解党となりました。その流れから自然に代表に、となったんだと思います。