新年度から勤務先の大学の学生部長を務めている。学生生活全般を支援する役職で、中学・高校で言えば生活指導主任に近いだろうか。
職務上、学生の相談事に触れる機会も増えた。学業、進路、アルバイト、サークル、家族。青春期は悩みの宝庫だ。なかでも多いのが、友人関係の相談だ。友だちができない、グループに入っていけない。一人ぼっちが辛い……。
私自身が割合孤独な学生生活を送ったこともあり、「別に友だちがいなくても大丈夫だよ」と答えるのだが、どうにも説得力がない。周囲と調和しなければという強迫観念から彼らを解放するにはどんな説明が有効か。ヒントを求めて手に取ったのが本書だ。
書名から予測された、ソーシャルネットワーク・コミュニケーションについての論評はむしろ少なめだった。「友だちはリクエストすべきものではないだろう」というご意見には全く同感。「友だち」や「仲間」は基本的に子どものためのもの、というのが著者の主張である。少し引用してみよう。
〈小学生時代の友だちは、致命的に重要な意味を持っている。大切なのは、それぞれの「友だち」の名前や個性ではない、知り合った時期と、過ごした時間が代替不能だということだ。相手は、むしろ、誰であってもかまわない。あくまでも重要なのは、10歳の時に知り合って、そのかけがえのない時期を共に過ごしたという事実だ〉
自分が親友だと信じているA君、B君の顔を思い浮かべると、「誰でもよかった」には首肯しがたいが、なるほどと思う部分もある。「成熟とは友だちが要らなくなること」という言説にも一理あると頷けた。友だちが絶対的存在から、いなくても構わないものに変容していく過程、その真っ只中にいる大学生がいろいろ思い悩むのは自然なことなのかもしれない。
体系立った論考ではなく、思いつくままに書いたエッセイだが、文章が巧くて読ませる。各章扉にあるオスカー・ワイルドやアンデルセンなど先人の名言と、それに対する著者の返歌? も絶妙のスパイスになっている。
ただ、友だち不要論に近い本書で、逆に自分自身が友だち真理教に近い考えだったことに気付かされたのも事実だ。結局学生相談の説得ネタを探すという当初の目的は全く達せられなかった。
読後、何となく流れで下重暁子著『家族という病』も読んでみた。こちらは書き方が直截すぎて、何だかなーという印象である。2冊続けて読むと、かなりブルーな気分になれること請け合いだ。
「一生の友」に「かけがえのない家族」。幻影と言われようとも、それらを支えに自分は生きていきたい。所詮この世に絶対と言えるものなど何一つないのだから。