【田原】ところで、元榮さんというお名前は珍しいですね。どのへんに多いのですか。

【元榮】父は奄美諸島の沖永良部島の生まれです。島には元榮一族が多くて、悪いことはできなかったらしいです(笑)。

【田原】元榮さんも奄美の出身ですか。

【元榮】いえ、父は中学のときに親戚を頼って千葉県に移り住み、大手電機メーカーに就職。私は父の海外赴任先であるイリノイ州シカゴの郊外で生まれました。3歳で日本に戻り、神奈川県の藤沢で育ちました。

【田原】それからはずっと日本ですか。

【元榮】中学のとき父の赴任でドイツに行きました。でも、まだ若く未熟だったこともあって、日本の中学が楽しかったのに無理やり連れてこられたという、思春期ならではの被害者意識があった。向こうの生活を楽しむことができず、高校は一人で日本に戻って進学。いろいろアルバイトをして暮らしていました。

【田原】高校生ができるアルバイトは限られているでしょう?

【元榮】いろいろやりましたよ。新聞配達とか、コンビニのバイトとか。一番長く続いたのはカラオケスナックです。時給900円で高校生としては高めだったし、勤務時間もサッカー部の部活が終わってからちょうどよかったんです。

【田原】サッカーは、うまかったの?

【元榮】県立の強豪校でレギュラーでした。でも、大学ではダメでしたね。体育会のサッカー部に入ったのですが、つねに3軍。3軍は80人くらいいて、合宿にも連れて行ってもらえない。早々に挫折しました。