実業家、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会理事 高橋治之さん
1944年、東京都生まれ。67年、慶應義塾大学卒業後、電通入社。77年「ペレさよならゲーム・イン・ジャパン」をプロデュース。以降、ワールドユース、ユニセフオールスター、トヨタカップなどのサッカーの大イベントを成功させ、2002年日韓W杯招致にも尽力。同社常務取締役、専務取締役、顧問を経て、11年に退任。現在、コモンズ代表取締役会長、2020年東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会理事、日本ゴルフ協会アドバイザリーボード、日本馬術連盟東京五輪選手強化対策プロジェクト委員なども兼務。
電通の取締役や顧問を退任してからも、ワールドカップ、オリンピックなどスポーツマーケティングの仕事に携わっています。私にとって会食は海外の友人、知人とのつきあいに欠かせないものです。
日韓ワールドカップ(2002年)の招致活動を始めたのは1995年。当時、FIFAはアベランジェ会長、ブラッター事務局長の体制。ふたりを日本に招いて、何度か会食の場を設定しました。
しかし、いまでこそ「和食は世界遺産」「スシはグローバル・フード」になっていますが、当時はそうではなかった。ふたりとも「サシミ? ノー」でしたから、ステーキ、しゃぶしゃぶ、てんぷらといった店を手配してはご案内したものです。国際ビジネスの世界で、食事のもてなしは重要ですし、店選びは神経を使います。高額な店、格式の高い店でも、相手が刺し身や寿司が嫌いならば意味はありません。相手の好みを知ることが重要です。もてなしとは自分の好みを押しつけることではなく、相手が喜ぶ顔を見ることだから。
いまは「ツキジへ連れていけ」と言う友人が多くなりました。僕の海外のパートナーなんか朝からひとりで築地市場の寿司屋に行って、「スシを80貫、食べてきた」と自慢している。いやはや、もう、ステーキ屋を探して歩く時代ではなくなりましたね。
子どもの頃からなぜか食べものには恵まれていました。中学校の頃は料亭の息子が同級生。高校に入ったら、今度はふぐ屋の息子と親しくなった。おかげで学校が終わると、友達のうちに行っては、ステーキを食べたり、ふぐ刺し、ふぐちりを食べて……。いまよりずっと、贅沢な食生活でした。
忘れられないのは、故・辻静雄さんの言葉。辻調理師学校の校長で、フランス料理の専門家。あの方は大阪の自宅、東京のマンションに友人を招いては食事会を開いていたのです。そうそうたる方々がゲストでしたが、まだ若かった私は辻さんに可愛がっていただいた。「高橋さん、子どもには自宅でちゃんとしたものを食べさせたほうがいい。子どもの頃、養った味覚は生涯、忘れられない宝物だ」。
さて、「小熊」「Kuma3」ともに友人に連れてこられ、いまでは私のほうがよく通っています。どちらも素材、技術ともに一級の店です。むろん、ふたつの店には海外の友人を連れていきました。
「ファンタスティック!」
それが彼らの感想です。