このようなサイクルをたどって、自分が共同体の一員として所属している感覚を身につけることを、アドラーは共同体感覚 (Social interest)と呼んだ。Social interestとは、そのまま訳せば、「社会への関心」である。今自分がやっていることが、周りの人々にとってどういう意味があるかに関心を持つということである。つまり、共同体の中の自分の存在の意味を考えるということである。

この「社会への関心」と対になるのが「自分への関心 (Self interest)」である。自分の周りで起きていることが自分にとってどういう意味があるのか、それは得なのか損なのかということを考えると、自分を中心とした世界観を持つことになる。

人は生まれてすぐには、自分への関心を持たざるをえない。まず自分が生き延びることが必要だからである。だから自分の周りで起こることや対人関係について、それが得なのか損なのかを計算する。それが得であれば、周りの人を踏み台にしてのし上がっていこうとする。

逆に、それが損であれば、周りの人に押しつけようとする。そうした自分が評価されないとなれば、周りの人が不当であると糾弾しようとする。自分への関心から逃れることができない人は、このようにして常に不満を持つことになる。

これを解決する道は、自分への関心を超えて、共同体感覚を持つこと以外にはない。しかし、共同体感覚は自分への関心とは異なって、生まれついてのものではない。日々実践することによって自分の身につけていく必要があるものなのである。

「自分は本当にこの職場に合っているのだろうか?」という疑問・不安を、職場の仲間たちがつくる共同体と自分との関係を見直すチャンスとして捉えれば、本人の考え方をどう変えればいいのか、また周りの人たちがそれをどう支援すればいいのか、それぞれの解決法が見つかるかもしれない。

(文中敬称略)

参考文献:野田俊作『続アドラー心理学 トーキングセミナー―勇気づけの家族コミュニケーション』(1991年)

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