当時ドイツ在住だった黒田は大急ぎで帰国し、副社長として会社の前線に立つことになる。気になったのは、支配人たちの元気のなさだ。

「あのカッコよかった女性たちが、俯いてしまったんです。09年6月の社員総会で、いつもなら満場一致で最優秀支配人が決まるはずなのに、その年は該当者がいなかった。そこで私が壇上に上がり、『必ずみなさんに笑顔を取り戻してもらう』と宣言しました」

一つの方策が、エリア責任者の制定だ。12年に社長に就任してからは、全支配人と年1回、20分ずつ面談することも制度化した。面談では黒田からその支配人に対して評価している点、直してもらいたい点を率直に話し、支配人からは会社への要望などを話してもらう。その対話から生まれたのが、「日本一女性が働きたい職場にする」というスローガンだ。黒田がいう。

「10年が業績の底でした。その時期を乗り越えてきた支配人たちに、なぜ仕事を続けてきたのかと問いかけました。すると『こんなに女性に責任を持たせてくれる職場はない』とか『困難にチャレンジして成長を実感できるのがうれしい』という言葉が返ってきた。だったら、日本で最も女性が働きたい職場になれるんじゃないか。もう半分くらいはそうなっているんじゃないかと感じたんですよ。といっても『働きやすい』じゃなく、『働きたい』職場です。楽をするつもりはありません」

明るくはつらつとしているが、甘くはない。女性たちの挑戦は、始まったばかりである。

(文中敬称略)

【東横インの歴史】
1986年●西田憲正氏が「電気設備工事会社の副業として」(西田氏著『東横インの経営術』)東京・蒲田に東横イン1号店をオープン
1995年●13店に拡大。西田氏、10周年パーティーで「ホテル業に専念する」と宣言し、出店を急加速
2000年●15周年パーティー、39店舗
2002年●1万室達成
2005年●2万室達成
2006年●1月、ハートビル法違反事件5月、西田社長が退任
2008年●5月、松江の店舗で硫化水素ガス発生事件9月、リーマンショック10月、松江事件で西田氏逮捕(廃棄物処理法違反)12月、黒田麻衣子氏が社業に復帰(副社長)
2009年●1月、200店舗
2010年●業績低迷
2012年●6月、黒田麻衣子氏、社長に就任。9月、稼働率「全店100%」達成
2015年●5万室達成予定

東横イン代表執行役社長 黒田麻衣子
1976年6月生まれ。父は東横イン創業者の西田憲正。聖心女子大学文学部卒業、立教大学大学院文学研究科博士課程前期修了。2002年、東横イン入社。営業企画部で新店舗立ち上げに従事したのち、出産・育児のため05年に退社。08年に副社長として復帰、12年6月から現職。
(永井 浩、永野一晃(黒川氏)=撮影)
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