著者は「ティッシュをお忘れなく」なんて記していました。これが辛いのだろうと、私は身構えていました。ところが、ところが。あらためて自分年表を前にすると、いろんなことが、つながりをもってたち現れてきたのです。

30代に遭遇したいくつものライフ・イベント、そして仕事の山、山。これが40代のいまの私をとりまく状況につながっていたのです。こりゃ、いろいろありすぎ。いまタイヘンなのは当然だわ、と。

眺めていくと、「悪いこと」のあとに、大きな「いいこと」が起きているのも、一つの発見になりました。

10代後半の「悪いこと」に私が書いたことの一つに、「音楽コンクールで失敗」という事件があります。ピアノの全国コンクールの地区予選に出場し、見事に、本番で大失敗をしていまったのです。舞台ではカネがなり(もういい、帰れ、という合図)私は大泣き、しばらくなにも手に着かない日々が続きました。

けれども、この大失敗を機に、私はピアノを専門にしようという夢は捨てました。数カ月はぼーっと放心して過ごしたものの、高校3年生になってにわかに受験勉強を始め、なんとか現役で志望する東京の大学に合格しました。

あれがあったから、これがあったんだ。すべてにおいて、「悪いこと」は「いいこと」につながっていた。このワークをしなければ、私は自分の人生の流れについて、これほど詳細に考えることはなかったでしょう。

ティッシュはまるで必要なく、とてもすっきりした気分で、この作業を終えることができました。

さて最後は、手元に残った「わが人生の大年表」ノートの焼却の儀式です。

でもよほど広い庭でもないかぎり、自分でものを燃やすことなど、できる場所がありませんよね。私は近所のお寺に頼み、護摩供養の際に、燃やしていただきました。寸志とともにもっていって、事情をはなしてお願いすると、住職さんは快く引き受けてくださいました。