知事の覚悟が県庁、職員を変える

【塩田】知事となって6年半以上が過ぎました。最初に立てた目標の達成度は。

【蒲島】知事になったとき、リーマンショックもあって大不況で、経済的停滞と閉塞感に包まれていました。そこで3点を考えました。一つは価値観の転換。経済的な価値ばかり尊重していてリーマンショックに行きついたから、「幸福量の最大化」を大事にしよう、と。幸福量は経済的な高水準、プライドと誇り、安心・安全、夢の4要素で決まっていくと思い、それに沿った政策を行ってきました。二番目は、これから暗いトンネルを県民と一緒に歩いていくことになるので、トンネルの先の夢を語ること。三番目は、好不況にかかわらず、熊本県には多くの課題があり、それも閉塞感の原因となっていたので、課題を解決することです。

課題の解決では、第一は財政再建です。就任してすぐに自分の給料を 月額100万円カットしました。結局、給料カットで県に約5000万円返しましたが、4年間で約1000億円の借金を減らして、約30億円貯金が増加しました。これが財政再建に結びつきました。第二にアナウンスメント効果です。補助金を10%から40%カットしましたが、一度、得た既得権益を放棄するのは難しいものです。よくできたなと思ったのは、やはりそれほど財政が厳しくなっていたのかと、みんなが思ったからでしょう。第三は政治的信頼です。給料の 100万円カットで、前年の税金も引かれて、残ったのは月14万円でした。そうすると、県民がお米を送ってくれました。私がカネのために仕事をしているわけではないとわかってくれました。これはとても大きかったです。

【塩田】知事の給料を100万円カットして、それで4年間の借金の減額が約1000億円というのは驚きです。どうやってそういう結果を生み出せたのですか。

【蒲島】財政再建のためには、私だけでなく、職員の給料も、県の補助金もカットせざるを得ません。説得できるかどうかは、知事自身の覚悟が一番大きいと思います。私は「自己犠牲の政治学」と言っていますが、それを見せることだと思いました。自分が一番、苦労しなければいけません。そうすることで、職員の給料カットも、労働組合がすぐに納得してくれました。

もっとも難しかったのは、就任後まもなく、会計検査院の調査で不適正経理が指摘されたときです。「今までのことはいっさい罰しないから、全部言ってくれ」と言って調べたら、会計検査院の調査以上の職員の不適正経理が出てきました。

職員にすれば、業者に預けておいて、来年、そこから買って調達すれば、スムーズにいくと思うわけです。でも、それは許されません。私は「自分で把握している事実を告白すれば 100%許すが、それ以上の事実が見つかったときは厳罰」と言って調査しました。前知事時代の不適正経理なので、私が調査した後でそれ以上のことが見つかったら、私が責任を負うと表明しました。そうすることで、職員の告白があり、私は責任を取って給料を50%カットしました。

知事に就任して2年目で、100万円の給料カットは終わっていました。今度は50%のカットとなりました。職員のこととはいえ、トップですから、私は責任を取りました。同時に、「ほかに出てきたときには重大な責任を取る」と言いました。それは辞めることです。そのくらいの取り組みで、ようやく県庁の経理文化が変わるんです。上から強く言ってできるものではありません。私は知事になって、誰も怒ったことはありません。権力的に言ってもダメです。

【塩田】注目を集めていた川辺川ダムや水俣病の問題でも新たな挑戦に踏み出しました。

【蒲島】川辺川ダム建設計画については、ご承知のとおり就任5ヵ月後に白紙撤回しました。今、ダムによらない治水を目指す方向に進んでいます。水俣病問題では、特措法の成立過程でロビー活動を行いました。特措法は、水俣病問題の解決の中で一定の成果が得られたのかなと思います。水俣病は長期にわたる問題ですから、私の任期中にすべてに対応できるとは思いませんが、いい方向に向かうようにと思っています。