自分の存在価値を求める「成長欲求」
お陰様で、連載を通じて年をひとつまたぐことができました。本年もよろしくお願いいたします。
さて、「やる気がない」「さめている」とか、「草食系」「さとり系」などと表される近年の若者たち。社会環境は激変し、企業組織や大人たちは「夢は?」「やりたいことは?」「達成したいことは?」「目指すべき姿は?」などと問いかけてきます。僕たちはそれを、しばしば「自己実現」と説明され、そのぼんやりとした何かを追いかけてきました。
「自己実現」というと、多くの人は、心理学者アブラハム・マズローの5段階欲求のピラミッドを思い浮かべると思います。自己実現はその「段階の頂点」として描かれていますが、これは本人によって記されたものではなく、多くのマズロー研究者たちによって「自己実現論への誤解」が指摘されています(※本稿では、先行研究論文や文献の引用は割愛しています)。
そもそもマズローの理論は、組織経営や人材マネジメントのために説かれたものではなく、「人間の成長と心理的健康の実現」を問うたものだと言われています。そしてこれは、僕のこれまでの実験や活動を支えてきた重要なコンセプトでもあります。
マズローの段階欲求説は、4段階の欠乏欲求と、その上の「高次元」な成長欲求とに分けて考えることができます。欠乏欲求とは、不足・欠損しているものを満たそうとするもので、満たせば、それ自体が意識下から消えていくものです。ただし、人間はある欲求段階には滞留できず、その段階を上がり続けようとし、これが社会活動や仕事の「モチベーション」にもつながります。
この段階や内容についてはさまざまな見解がありますが、いずれにしても一度すべての段階をそれなりに満たす経験をすると、人間はそれまでとは根本的に次元の異なる「成長欲求」へ向かおうとする、と説明されています。これは足りないもの・欠けているものを満たそうとするものではなく、自分自身の存在意義や価値を求めよう・示そうとするものであり、「存在欲求」とも呼ばれています。そしてここに、「自己実現」が位置づけられています。
「存在」というと、下位の次元である「承認欲求」との違いがよく論じられるのですが、こちらは、「社会や環境への適応」が前提となっています。つまり、「こうなるとすごいよね」「こうなれば評価されるよね」という設定されたゴールを追い求めている状態です。しかし、自己実現は「適応」することではありません。ある状態に到達したり、達成したり、ここまでいけば満たされる、というような性質のものではなく、絶えず広がりや変化を求めようとするもので、「絶え間ない傾向」に動機づけられたものです。