ドトールコーヒー、スターバックスコーヒーなどセルフ式カフェが席巻していた日本の喫茶業界に変化が起きた。「昭和型」の店が復権しているのだ。街の喫茶店事情を『日本カフェ興亡記』の著者、高井尚之氏が報告する。

※第1回はこちら(http://president.jp/articles/-/14234)

バリスタ世界一を育てた店

丸山珈琲社長 丸山健太郎氏●丸山氏が長野県軽井沢に開いた個人店が丸山珈琲のルーツ。2001年にチェーン化。夏に訪れたリゾート客が通信販売で豆を求めるようになり、通販の取扱量が急増した。コーヒー抽出や接客の技術にもこだわり、14年のバリスタ世界一を輩出。

丸山珈琲は、91年に丸山健太郎氏が軽井沢で始めた自家焙煎の喫茶店がスタートだ。開業後10年間は、別荘地のペンションを間借りした店でコーヒーを淹れていた。

01年4月、そんな丸山氏が、一店主からチェーン店経営者に転身をめざした出来事が起きる。米国で業界団体主催のパーティに参加したときのことだ。「豆の買い付け量が少ないと、品質について注文できないことがわかったのです」。現地の生産者に意見をいうにも、年間でコンテナ1台(300俵=18000キログラム)単位の購入が必要だったという。

開業前の世界放浪体験で英語が堪能だった丸山氏は、行動を起こす。コーヒー生産国を回って良質な豆を探し、生産者と直接対話をし続けたのだ。こうして関係を深めて豆を確保し、その後に開いたリゾナーレ店(山梨県)や小諸店(長野県)で提供した。店だけではない。公式サイトを開設して通信販売にも進出、人気を呼んで取扱量が一気に拡大した。

現在は小諸店内に焙煎工場・受注センターを併設し、東京都内の尾山台、西麻布にも店を構える。その西麻布店でこう話す。

「開業してしばらくは、銀座の『カフェ・ド・ランブル』(店主は100歳を超えた関口一郎氏)のような名店の生き方に憧れ、相撲でいう“一代年寄”をめざしていました(笑)。でも、次世代を育てることで、若い人が夢を持てる会社にしたいと考え直したのです」

そこでバリスタの育成にも力を入れるようになり、技術を競う大会にも積極的に参加させた。中でも井崎英典バリスタ(24歳)は、日本代表として臨んだ14年「ワールドバリスタ チャンピオンシップ」で、同大会におけるアジア人初の王座に輝くという金字塔を打ち立てた。

もともとカフェは、飲食をするだけではなく、「人と人とが出会い交流する場所」でもあった。その役割を明治末期から担った店が、今も銀座8丁目で健在。1911(明治44)年創業の「カフェーパウリスタ」だ。