消えゆく伝統文化
水、酒米、麹は日本酒の原料でその質が出来栄えに関わってくるのは当然として、いかに優れた原料に恵まれようとも、それを醸す杜氏と蔵人がいなくては、名酒は生まれない。
杜氏の率いる蔵人たちの集団は、冬の出稼ぎとして酒造りにかかわってきた。寒造りは醸造上でも好適であったが、造り手にしてみれば稲作の農閑期にあたり、これも好都合で、明治時代以降、「酒造りは冬」という固定概念が定着する。
ところが、江戸時代にはほとんど年中、酒造りがおこなわれていた。(坂口謹一郎『日本の酒』岩波書店)春、夏でも新酒は造られていたのだが、その技術は残念ながら失われてしまったのである。
酒造りの技術はひとえに杜氏と蔵人の集団が伝承し、彼らの肩にかかっている。もし、それが途絶えてしまったら、日本酒の醸造はできなくなる……。
昭和36(1961)年、「月桂冠」は先端技術を導入してすべて機械化による日本酒醸造システムを開発した。これは杜氏など専門職に頼らず、天候など環境にも左右されず、均質な日本酒を造り出すというイノベーションであった。同時に、四季醸造が可能になり、生産量も大幅に上昇したのだという。
そんな事情など見学するまでつゆ知らず。伝統を固持し格式高い京都の老舗酒蔵が、まさか全工程を機械化しているとは。それも昭和36年から、というから、当然のことながら私が口にしたのもその酒だ。工場で試飲させてもらった酒も、まったく非の打ちどころない、高級感漂うまぎれもない日本酒だった。
ここ数年、杜氏や蔵人は激減し、昔ながらの手作り、寒造り醸造は存続が危ぶまれ、次々と個性的な地酒が幻と化している。哀しいかな杜氏の技術は文化遺産に登録されることもなく、消滅しようとしている。嗚呼……。
たかが痛風ごときにと戦(おのの)くおのれを叱咤し、これが別れの盃かもと愛おしむのである。