会社員から義理の兄の会社へ

「学歴よりも、学力が大切だよね。商人として、学ぶ力ですよ。店の経営、営業や製品などの知識、お客さんとのやりとりや駆け引き、税金や法律も勉強しないといけない。しかも、続けることが大事。会社員は、この学ぶ力が弱いね。守られすぎているからじゃないですか」

近藤義治・有限会社コーエイ商会社長。

神奈川県川崎市高津区にある、有限会社コーエイ商会代表取締役の近藤義治さん(67)が太く低い声で語る。自転車やバイクなどの部品をメーカーから買い、自転車販売店やバイク販売店などに売る、卸売りの店だ。正社員はいないが、元社員の男性が作業などを手伝ってくれる。

終戦直後の昭和21年(1946年)に長野県飯田市に生まれた。6人兄弟の下から2番目だった。父は、米屋を営んでいた。県立飯田長姫高等学校(現在は、長野県飯田OIDE長姫高等学校)の商業科を卒業し、18歳で上京。1964年の3月だった。22歳ごろまで、京橋(東京都中央区)にある紙の問屋で働いた。近藤さんの記憶では当時社員が50人前後で、初任給は高卒で8000円ぐらいだったという。

「上司がかわいがってくれました。ドライバーさんを動かして、お客さんに品を配送することを任されていたのです。若造には難しい仕事なのですが、同期入社組ではいちばん早く任されました。上司は、私のことを高く買ってくれていたのですかね」

4年目を迎えた頃、川崎市内に住む姉から、夫(近藤さんの義理の兄)の店を手伝ってほしいと頼まれた。義理の兄は、川崎市で自転車やバイク、リヤカーなどの卸売を始めた。創業直後であり、働き手がいない。

近藤さんは問屋を辞めて、働くことにした。12歳近く上の姉からの頼みは断れなかった。姉はその後、他界した。近藤さんは声を小さくして振り返る。「お母さんのような存在でした。かわいがってくれましたね」

義理の兄は48歳のとき、病気で他界した。近藤さんは、今も「おやじ」と慕う。番頭として仕えていた頃、使われることの難しさを痛感したのだという。

「義理の兄だから、私としては甘えも出てしまうし、仕事の進め方などをめぐり口論になることもありました。義理の兄ということで言えないこともあり、つくづく難しいと思いました。おやじがいたからこそ、今の私があるのですから、感謝はしています。この店を守ることが、恩返しです」