五重塔に命をかけた大工の物語
良書は、いつの時代でも普遍的な価値を持っています。読み進むにつれて、登場人物の生き様に思いをはせたり、何気なく使われている言い回しが脳裏に焼き付く。読了したときには深く心を打たれて、清涼な心持ちになっていたり、元気づけられていたりするものです。
このところ「100年に1度の経済危機」だとか、「世界大恐慌」などといった言葉が飛び交っています。多くの人がそのつど身を縮こませ、前途の希望すら打ち砕かれたような気持ちにさせられているのではないでしょうか。
確かに大変な時代ですが、だからこそ、良書にふれて、揺らぐことのない生き方、考え方を築くことが大切です。
ご紹介したい最初の1冊は、『五重塔』(幸田露伴著)です。主人公ののっそり十兵衛は、真面目で腕は確かな大工。しかし、無欲で生き方が不器用なため、貧しい暮らしをしている。一緒に働く大工仲間がどんどん独立していくなかで、親方の下でひたすら働く。
あるとき、親方に命じられて五重塔を1人で建てることになった。のっそり十兵衛は腕をふるって必死で塔を建て、いよいよ落成式というときに大嵐が町を襲った。彼は、風にきしむ五重塔と心中しようと塔の中に入る。翌朝、大嵐が去って外を見ると、周囲の建物はみななぎ倒され、五重塔だけが残っていた。
いい加減な工事、手抜き仕事で建てた建物は倒れ、五重塔はびくともせずに残ったという対比は、そのまま、のっそり十兵衛と周囲の建物の建設に関わった人々との対比にもなっています。
五重塔といった時代を超えて長く残るものは、一途に修業を積むことで生み出される。真っ当な仕事を真剣に仕上げていく「能力」や「精神」とは何か。これを露伴は問うているのです。
実は、私は「ビジネスモデル」という言葉に違和感を持っています。例えば、中小企業の経営者は、ビジネスモデルなど意識せず、実践の中で悪戦苦闘しつつ仕事一筋に打ち込まれているのではないか。これは、ひたすら親方をまねることしかしなかった男が、気づいたら親方を超えていたという話に通じるものがあります。仕事は理屈ではなく志と情熱です。私は、そんな精神の健康さが基本だと思っています。
だからこそ、何かを極めた人の話は心を惹きつけてやまないのです。そこには魂がこもっている。『五重塔』は、明治の古い文体で書かれており、今の時代の人には読みにくいと思いますが、ぜひ目を通していただきたいのです。