人間のリアルに怯える弱虫たちへ

笑えばいいし、バカにすればいい。でも、そんなに気になってしかたないなら、一度来ればいいじゃないですか。そんな遠いところからキャンキャン吠えてないで、僕たちのリアルを、その場で、面と向かってけなしに来ればいいじゃないですか。

無理でしょうね。怖いでしょうね。ここでは、立場やルールや常識なんてものは、何も守ってくれませんよ。あるのは、あまりに生々しく、痛くて、愚かで醜くて、時には美しい、人間の生き様そのものです。「消化試合」を抜けだして、不安で、険しくても、確かな感触のある時間を、それぞれが覚悟して生きているリアルです。「ニート」とか、「JK」とか、もっと言えば「若者」とかいった”総称”では何も語れませんょ。何一つわかりませんよ。一人ひとりの「人間」が生きてるんです。

それはただの感情論? ただの精神論? 僕たちは、「わかったつもり」でいるために、学んだり、教養を身につけてきたりしたんですかね? 理屈や理論の牙城に閉じこもって、そこからしかものを言わないなんてのは、人間に、人間らしさに、一人ひとりの人間が生きるというリアルに怯えた弱虫のすることですよ。そのことに気づいてもいない、そんなやつらのいう「妥当性」や「信頼性」なんて、クソ喰らえですよ。

そして、何を隠そう、僕もその弱虫の一人でしたよ。いや、弱虫の一人ですよ。だから、わかろうとしたし、ずっとわかったつもりになろうとしてたし、今もなお、それは葛藤の最中です。中途半端な理屈しかないけど、それはいつか、このリアルの中に少しでも還元させてもらことができたら、それでいい。

ある時までは豊かで幸せだった僕たちの日常も、どんどん変化して、ぬるま湯の中で生かされて、安全で窮屈な枠に飼い殺されて、このままじゃ未来がないってことは、誰だって気づき始めてるはずです。それでもなお、理屈で塗り固められた虚白の世界をグルグルループして、始める前の答え探しばっかりやって、これじゃあ、いつまでたっても弱くてさみしいままです。

僕に、僕の一連の活動に、誰かのセーフティネットをつくってあげようなんて気持ちは微塵もありません。そんな偉くはないし、なにより僕自身が、この弱さや苦しみから救われたくて、報われたくて、未熟さを、愚かさをなんとかしたくてたまらない。だから、一緒に生きて、向き合って、戦ってくれる人を集めているんです。僕も、当事者の一人です。

千切れそうになっても、目を背けません。まだまだ、もっともっと、弱く、醜く、人間らしく生きてみせますよ。

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