藤田雄大(熱気球の世界選手権優勝者)
ついに熱気球界で日本人の世界チャンピオンが誕生した。27歳の藤田雄大。名は「ゆうだい」と読む。親子二代にわたっての雄大な夢を実現し、藤田は端正な顔をくしゃくしゃにするのである。
「父ができなかった夢がぼくの中に生きていて、それをぼくが叶えられたことを、うれしく思います。父がいるから、いまのぼくがあって、気球競技もできて、そういった面では父にすごく感謝しています」
このほどサンパウロ近郊のリオクラロで開催された熱気球の世界選手権。藤田の気球は「サムライ・ブルー」のごとき、青色の気球だった。さとうきび畑などの広大な大地を眼下にしてのフライト。日本とはちがうダイナミックな風に乗り、大会2日目にトップに立つと、持ち前の正確な飛行技術を駆使してポイントを重ねていった。
熱気球の世界選手権は1973年から2年ごとに開かれており、今回が21回目だった。藤田の父の昌彦さんはかつて熱気球界で『世界のフジタ』と呼ばれた名選手だったが、この世界選手権のタイトルとは無縁だった。
「ぼくは、母のお腹の中にいる頃から、気球には乗っていました。ただ、競技に興味を持ちだしたのは中学生の頃から、です。」
センスといえば、藤田はとくに“風をつかむ”能力に優れている。大気には幾つも層があり、ちがった風が吹いている。向きも強さもちがう。その風の特徴を読み、気球を上下させながら、軌道を巧みに調整し、ターゲットに近づいていくのである。
「よく風をつかむコツを聞かれますが、それって何でしょうかね。やはり風は目には見えません。ぼくは飛んでいるとき、すごく臆病というか、疑心暗鬼というか、風への疑いを持っています。ちょっとずつ寄せて、いつその風がなくなっても大きく外したりしないように細心の注意をはらっています」
藤田は幼少期から、父について大会を転戦し、18歳のとき、パイロットのライセンスを取得した。日本の第一人者となり、前回の世界選手権では3位となっていた。「真の優勝者は父」と漏らしたこともある。
「父が持っている気球に対する情熱とか、センスとか、ぼくは受け継がせてもらっています。父がいるから、いまのぼくがあって、気球競技もできているのです」
こんかい、父の昌彦さんは地上からアシストし、刻々と変わる風の情報などを藤田に送り続けたそうだ。優勝したあと、その父から「よくやってくれたなあ」と言われた。
「あとはもう、おやじの目がアツくなって……。これが、ずっと、ずっとぼくらの夢だったのです」
千葉県出身。2歳のとき、熱気球の練習環境を求めて、家族で栃木県下都賀郡野木町にうつった。183cm、71kg。父が経営する熱気球の『バルーンカンパニー』で働く。
次の世界選手権は2016年、佐賀県で開かれる。
「1回の優勝だけでは、ほんとうのチャンピオンになれたとは思っていません。次の夢は、日本開催の世界大会でチャンピオンになることです。何度でも優勝トロフィーに名前を刻んでいきたい」
青い青い秋空に舞い上がる熱気球のごとく、藤田ファミリーの雄大な夢がおおきく膨らんでいく。