35歳で、ミドリムシと共に立つ
出雲は2012年に発刊した著書『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』(ダイヤモンド社)で、こう書いている。
「この地球上で5億年前から、常に食べられ続けることで世界を支えてきたミドリムシ。5億年前にミドリムシが地球にデビューしたときから、いろいろな生物がミドリムシの栄養を食べて進化してきた」
つまり、ミドリムシは食物連鎖の底辺を支え、微生物やあらゆる動物を生かしている。
出雲はその存在を知り、「ミドリムシが地球を救うことを手助けすることが天命と知った」そして「35歳で、ミドリムシと共に立つと心に決めた」のだという。
実際には35歳前にして、出雲はミドリムシの可能性を社会にアピールすることに成功しつつある。沖縄県石垣島にある生産工場でミドリムシの大量培養を行い、食用粉末に加工、クッキーや飲料、塩、サプリメントなどの自社製品を発売すると共に、粉末原料として販売供給して、機能性食品や化粧品などが製造されている。
燃料としても冒頭のいすゞ自動車の他、JX日鉱日石エネルギーや日立製作所などとバイオジェット燃料の研究開発も行っている。ミドリムシでジェット飛行機を飛ばすという壮大な計画だ。
社会になかなか認めてもらえず、何度も倒産しかかった同社だったが、2013年にはジャパンベンチャーアワード最優秀賞「経済産業大臣賞」を受賞、同年にダボス会議で知られる世界経済フォーラムが選ぶ「ヤング・グローバル・リーダーズ2012」に出雲が選ばれた。
さらに、同年に東証マザーズにも上場し、初日は人気で値がつかず、2日目に公募価格の2倍以上で成立するなど期待が膨らんだ。
それほど魅力的なミドリムシだけに、実は以前から国内外で研究は行われていた。日本では1980年代から政府が中心となって進めた「ニューサンシャイン計画」の一環としてミドリムシの大量培養が計画されたがことごとく失敗した。
それは、ミドリムシの栄養価が高いために細菌、バクテリア、プランクトンなどにとっても大変なごちそうで、いくら培養しようとしても外部から生物が侵入してミドリムシを食べ尽くしてしまうのである。
天敵を排除しようとクリーンルーム環境を作ろうとしたが、不純物ゼロ状態は困難で、徹底すればコストがかかりすぎて現実的に不可能だった。当時は小さじ1杯程度のミドリムシを育てるのに1カ月もかかっており、日本だけでなく世界でもミドリムシの大量培養は不可能という烙印が押されてしまった。