若い頃から中国国内各地を歩きまわっていた私にとって、一番好きな原風景は蘇州から南京へ行く途中の田園風景だ。まさに、いくら見ても見飽きない山水画そのものだった。しかし、1980年代後半「世界の工場」となったこの一帯は、コンクリートの工場棟が緑の田園を蝕み、覆い隠してしまった。もう車窓の風景を見ることもなく、いつしか、山水画のような風景も思い出さなくなった。だが本書を読んだときにその風景が一気に蘇った。

「農業を疎かにする国は滅びる」「多くの経済大国は食糧生産大国でもある」。著者が指摘するように、主要な経済大国の食料自給率は高い。米国は128%とトップを走るが、フランスも122%と負けてはいない。ドイツは84%で、日本の半分以下の人口の英国も70%と日本を大きく引き離している。データは2003年のものであるが、十分な重みを持つ。

10年に、日本がGDP世界2位という座を中国に渡してしまった原因は中国の追い込みにあったのではなく、農業大国になりえなかった日本の宿命的な運命だろうと私は思う。著者が指摘したように、日本でカロリーベースの食料自給率は79年に約80%あったのに、今や40%台まで激減してきた。それに合わせたかのように耕作を放棄された土地も夥しくある。

一方、中国は農業において、そこそこの成績を挙げている。世界の耕地面積の7%で、世界人口の2割に相当する国民を養っている。その穀物生産量も22億トンと世界生産量の4分の1を維持し、食料自給率については95%を死守している。

しかし、実は中国の耕地の多くは沿海部に集中しており、広大な西部は砂漠地帯か居住が困難な高原である。貴重な耕地の多くは、今や急速に工場用地やマンション建設地またはゴルフ場へと変わっていく。中央政府が再三禁止令を出しても、土地の非合法な転用を阻止できない。

著者が指摘するように、95年、米国のワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウン所長(当時)が「誰が中国を養うのか」という論文を寄稿した。当時、中国は国を挙げてそれに反論していたが、間もなくブラウン氏の指摘が的を射ていると認めざるをえなかった。04年、胡錦濤・温家宝政権が誕生すると、まず三農(農業、農民、農村)問題を最重要課題にし、食糧危機はひとまず回避できた。

実は、今日の中国の農業は、日本が抱える課題と似通った課題を抱えている。農家による小規模生産が中心で近代化、機械化が遅れ、人件費が安いにもかかわらず世界的競争力がない。日本も中国も食糧危機の可能性を抱えていると考えてよいだろう。「魚米の郷さと」と定評のある杭州を最近視察したが、美しい田園はすべてといっていいほど乱雑なコンクリートの建物群に変わっていた。誰か「食糧危機が中国を襲う!」という本を書いてくれないだろうか。