生まれ・育ちは大阪だという。バブル期には従業員160人の商品卸会社の正社員だったが、1995年1月の阪神・淡路大震災の際、事務所と倉庫が焼けたことでいきなりクビに。
「急に呼び出されて、机の目の前に100万円入った帯封を1つ、2つ、3つ置いて『じゃ、さよなら』って」
もっとも、復興工事で人は足りない。当時30歳の高田氏はそのまま電気工事会社の正社員に。復興工事で切った電柱や電線をトラックで運んでいたが、「いいからやれ」と言われて基礎知識ゼロから図面や積算の仕事を始めた。
「大学は文系だったから、何もわからない。上司や先輩に後ろから頭をはたかれながら、でも何とかなっちゃう」
十数年働いたが、怪しい商売に手を出したオーナー社長に逆らい「ソッコーでクビ」。ただ、この期間に取った施工管理の現場責任者の資格が生き、次はすぐ決まった。が、現場と呼吸が合わずに揉めているうちに、現在の仕事の話が流れてきた。ほぼ無一文で東京見物がてら面接に行き採用された。
「前の2社とも年収は500万には微妙に届かなかった。今は社会保険はつけてもらってるけど、『給料は絶対上げへん』って言われてます。正社員とやることは一緒。逆にこちらのほうがあちこち行く仕事が余分にあります。東京五輪もただ大変やなってだけ。トシ取るのに、鉄砲玉にされる機会がもっと増える(苦笑)」
両親はすでに亡く、あと10年で還暦。今の収入が得られるのもそこまでだ。以降の5年間はバイト扱いで、給料はガタッと下がる。貯金がやっと100万円。バブル期に加入し63歳から10年間、年60万円ずつ出る個人年金が退職金代わりだ。
「結婚どころじゃない。今の生活が精一杯。共働きで何とかギリギリでしょう。子どもの面倒なんてとてもとても。もし女性を口説くなら、『生命保険かけるから一緒にならへん? 20年以内に死ぬで』ですかね(笑)」