就職難で“正社員メンバーシップ”に入れてもらえず、キャリアアップの望み薄な低賃金のポジションに甘んじ続ける若年層――世間の抱く非正規社員像はそんなところだが、ここにいつしか40代男性を散見するようになった。日本の“失われた時代”の長さの証拠だが、企業に必要な人材か否か以前に、そのコストの調整弁扱いされる彼らは、人生の折り返し点を過ぎた今、何を思うのか。
通勤時間は自転車で約5分。月4000円で使い放題の公営スポーツクラブも近い。「“時間を買う”つもりでマンションを購入した」退職金代わりに購入した中国株が2倍に。が、FXで大損し総じてマイナスに。20代の半分以上は海外で過ごしたという。「旧ソ連崩壊後のロシアではインフレが凄かった。オウム真理教の露語の番組がラジオでまだ流れてました」
朝、待ち合わせ場所に自転車で現れた重原幹夫氏(仮名、45歳)。「さっき仕事が終わったばかりで……椅子でうたた寝してました」。電話のネットワークをパソコンで管理するオペレーターだ。通信キャリアのグループ会社で働く3カ月更新の契約社員。「10年前にハローワークで見つけた仕事。契約が途切れたことはありません。更新時期になったら一応書類は交わして、口頭で『またお願いします』って、あ・うんの呼吸。署名もしません」。
年収は440万円。「ただ、時給が10年間まったく上がらぬまま仕事量だけがどんどん増えていく。文句言える立場じゃないけど」。5~6人のチームで3交代制。曜日に関係なく4日勤務、2日休日という。
職場にいるのは同じ契約社員だけ。重原氏は最年少だ。判断できないことが発生したときだけが正社員の出番だ。
「正社員とは業務内容も違うし、給与の額も知らないから。私より年上の同僚は、若い正社員に注意されたり指摘されると、後でいろいろ愚痴ってます」
東北生まれ。高専から米国の州立大学を卒業して23歳で帰国。「まだギリギリでバブルだった」時期にファストフードチェーンに正社員で入社。「代わり映えしない状況がずっと続くのかと思うと嫌で」半年で退職。新聞配達で貯金してモスクワの語学学校へ。
「でも、ロシア語が全然身につかない。旅行会社の代理店でバイトしてた」