日本から耕作放棄地をなくしたい

西辻は、マイファーマーをセレクトショップのような高品質の野菜を売る場にしたいと考えている。

「今後、農作物の販路は安売りショップとセレクトショップに分かれるでしょう。農業市場の役割は縮小し、大手流通が契約農場を通じて安く農作物を調達し売る一方、規模の小さな農家は我々のようなセレクトショップ的直売所で質の高い野菜を売る。もし、日本の農業をこのまま放置すれば、確実に作り手は減って、供給量は不足し、野菜の値段はいまの3倍以上になるでしょう。そうなったときに、マイファームの活動がきっと役に立つと思います」

西辻はマイファームで農作業を楽しむ一般市民を含めて、1200万人の農業従事者が生まれたら、農家と消費者の距離が近づき、お互いの顔を見ながら語り合い、農作物を売り買いする社会が到来すると信じている。

農業に身命を賭した西辻だが、農家の出身ではない。父はサラリーマンだったが、社宅には小さな家庭菜園があり、子供の頃に野菜を摘み取ったことが西辻の最初の農業体験だった。野菜作りは楽しいものだと子供心に刻まれ、その思いが高校1年の時にふいに心の中で浮かび上がってきた。

福井県の実家の周囲を見渡したときのことだ。耕作放棄地が広がっていることに気付いた。西辻の心には、なぜ楽しい野菜作りをやめなければならないのだろうかと疑問がわき、作ることが楽しくなる野菜を発明したい、そして日本から耕作放棄地をなくしたいと思った。

いったん決心すると一途な西辻は、その時に大学は農学部に進むと決めた。2002年、予定通り京都大学農学部に入学し、作物の研究開発ができると思いきや、大学の勉強と研究は収量拡大や病害対策ばかり。4年生の時、思い切って大学院への進学をやめ、就職して社会に出ることを決意した。

その後、ネット広告会社に就職したが、起業への思いが高まり、半年で退職。2007年にマイファームを設立したが、画期的な作物開発をあきらめた西辻に耕作放棄地をどう再生するべきか何の手段もなかった。何しろその面積は東京都の2倍以上にもなるのだ。頭を絞る中で出てきたのが「自産自消」、つまり自分で作って自分で食べるというコンセプトだった。

こうして、体験農園のレンタルビジネスというアイデアは固まったが、耕作放棄地を農家から借りるのは思った以上に苦難だった。農村を歩いては手当たり次第に農家を訪ねて頭を下げたが、20代で農業経験もない西辻を誰も信用せず、門前払いの日々が続いた。