信頼されるビジネスマンになるためには、赤っ恥をかかないように日本語のトレーニングも必要だ。

正しいと思い込んで使っていた言葉が実は誤りだったと知って愕然とした経験は誰にでもあるだろう。

思い込みは恐ろしい。慣用句は音で覚えている場合が多いので、どんな漢字が当てはまるのか考えてもみなかったり、似たような慣用句とごちゃまぜになって覚えていることもよくある。

社内や取引先で赤っ恥をかかないためにも、たまには日本語ドリルをやって、言葉に磨きをかけるのもいいだろう。

それにしても日本語は難しい。

ここでは普段あまり関心を持つことのない日本語について、いい機会なので少し考えてみることにしよう。

「日本語が乱れている」とよく耳にするが、私たちが日常使っているいわゆる「標準語」は、明治になって新しくつくられた言語である。東京の山手に住む教養人の言葉をベースに、どこの方言でもない新しい言葉が生まれた。

一等国の仲間入りをするために、全国どこでも通じる言葉が必要だったのである。

「標準語自体、かなり無理をしてつくった言語なのです。標準語ができるとほぼ同時に文部省は作法集を作って、学校で教えるべき作法を徹底しました。標準語はひとつの作法だったのです」と語るのは言語学者の滝浦真人さん。

当時の「作法教授要項」の目次には、姿勢、応対、敬礼、服装、食事……といった作法がズラリと並ぶ。そのなかに自分のことは「私」と呼ぶこと、同輩には「僕」でもいいこと。相手は「貴方」が基本だが、同輩には「君」でもいいことなどがすでに述べられている。

ほかにどんなことが学校で教えられていたのか、面白いので少し紹介しよう。

例えば“服装の心得”を見ると「服装ハ質素・清潔ヲ旨トシ分ニ応シタルモノヲ着用スヘシ」。“食事の心得”には「食物ハ之ヲ躁急ニ食スルコト無ク口ヲ閉チテ咀嚼スヘシ」「食事ノ順序ハ先ツ飯ヲ食シ次ニ汁ヲ吸フヘシ ソノ他ハ適宜ニテ可ナリ」など、かなり細かいことまで指導するように定められている。

こうして日本人の作法は統一されていく。そのなかの「言語應對」編に登場するのが「敬語」である。

そこにはまず「皇室ニ關スル談話ニハ必ス敬称・敬語ヲ用ウヘシ」と書かれている。

「つまり敬語の大きな役割のひとつは、天皇を総本家とする一大家族国家を目指す国民的アイデンティティーの確立だったのです」