「なぜ、直近の自己資本比率が33%あって、358億円の営業利益を出したエルピーダが会社更生法の適用を申請しなければならないのか……。私には最後まで経営破綻という気持ちはなかった。いまでも疑問に思っているし、不本意だ」
日本におけるDRAMのリーディングカンパニーだった元エルピーダメモリ社長の坂本幸雄さんは、2012年2月27日の出来事を振り返り、悔しさを滲ませながら話を切り出した。
02年、坂本さんは経営危機に瀕した同社の社長に就任。04年には東証一部上場も果たす。しかし、リーマンショック後、半導体市況は急変。09年には公的支援による300億円の資本注入と銀行から1100億円の融資を受ける。
坂本さんらは、起死回生の戦略として、スマートフォンやタブレット端末向けのモバイルDRAMの開発と量産を選択する。その読みはズバリ的中し、同年夏以降、エルピーダの業績も上向き、10年3月期には営業黒字に転じた。
ところが11年の暮れ、出資者でもある日本政策投資銀行から「来年2月までに提携先を見つけて、1000億~2000億円の資本を増強せよ」との通告が届く。できなければ支援は打ち切るとまでいう。
「結局、役所にも銀行にも半導体の技術動向やマーケットに関して洞察力の働く人はいないということだ。だから、私たちのモバイルDRAMの優位性と市場の将来性について理解すらできなかった」
周囲からのバッシングも承知のうえで、坂本さんは更生会社の管財人を務めた。技術に詳しい人間が経営陣にいないと、迅速な再生が図れないだけでなく、同社の技術を生み出した人材が散逸してしまうからだ。
皮肉なもので、IT機器のモバイル化の風が、12年後半ぐらいから吹き始め、エルピーダの業績は上向く。だが、その間もスポンサー探しを継続し、昨年7月に米国マイクロン・テクノロジーの傘下に入った。
「この本を書いたのは、私どもの戦略は間違っていなかったことを検証するため。そして、エルピーダの社員一人ひとりに向けて『あなたたちはいい仕事をしてきた。これからも胸を張って活躍してほしい』と伝えたかったからにほかならない」
それだけでなく、日本メーカーへの教訓も数多く含まれている。坂本さんは、「世界で勝つには、経営トップの製品に対する強い愛情と、素早い決断が必要だ」という。エルピーダの軌跡を通して、今後のモノづくりの活路が学べるはずだ。