最大限の努力をすれば結果はついてくる
エルピーダメモリの坂本幸雄社長は毎晩、入浴の際、腹部に残る手術痕に目をやる。もしあのとき、吐血と入院を経験しなければ、今の自分はなかっただろう。
「入院は20代から3回しました。3度目の33歳のときは大量吐血し、1カ月入院してやっと原因が十二指腸潰瘍とわかりました。それからです、仕事の仕方が変わったのは。それまでは毎月の予算を達成するため、週に2日は徹夜するほど仕事に追われました。結果に対してセンシティブになり、最後の最後までやらないと気がすまない。体力があった分、逆に限界を超えてしまったのです。
それからは、最大限努力をして、そのうえで結果が悪かったら仕方ないと思えるようになりました。結果は求めなければなりませんがプロセスが悪かったら意味がない。ベストを尽くせば結果はついてくると割り切れるようになったのです」
高校時代は甲子園を目指した球児。体育教師になって野球部の監督になりたいと、日本体育大学へ進んだが就職に失敗。親戚のツテでアメリカ系半導体メーカー、日本テキサス・インスツルメンツ(TI)へ、半導体の「は」の字も知らず、就職した。
配属先は倉庫係。「社内運動会などを仕切る人事課長にでもなれれば」と思っていたが、独創的なコスト削減案と数字に強いところがアメリカ人上司に評価され、24歳で生産企画課長に抜擢された。29歳で企画部長、31歳で製造部長と異例の速さで昇進する。
「不思議なのは病気を機に割り切りができるようになってから、昇進のスピードがさらに上がっていったことです。ヒラから部長までと、部長から役員までとでは後者のほうがハードルは高いのですが、以降は2年にワンランクのペースで上がっていきました」