問題を解くことに失敗したときだけではない。社会的な不祥事を起こしたり、みっともない振る舞いをしてしまったとき、私たちは「穴があったら入りたい」「人生、もうおしまいだ」などと大げさに考えてしまう。ところが、他人は、私たちが思っているほどには厳しくは見ていない。そもそも、それほどの関心がない、ということも多い。

このような事象は、認知科学的には、一種の「フォーカシング・イリュージョン」であると考えられる。すなわち、本当はたくさんの関係する要素があるのに、そのうちの1つにだけ注意が集中して、その意味を過大に評価してしまうのである。

実際には、他人を評価する際には、私たちはさまざまな要素を総合して考えている。その人の今までの生き方や、ほかの機会での発言、接している中で感じた知性など、全体としてイメージが出来上がってくるのであって、たった1回の失敗で、評価が決まってくるのではない。

だから、失敗を恐れなくてもいい。他人は自分の失敗を思ったほど厳しくは見ないし、そもそもそれほどの関心もない。だから、他人の目を気にしないで、思い切り挑戦するほうが自分のためだ。

私自身、学生時代は、他人の目をずいぶん気にしていたと思う。みんなの前で能力がないと思われることを、異常なまでに恐れていた時期もあった。その頃は、あまりのびやかな人生ではなかった。

しなやかに生きて、実績を上げていく人は、多少の失敗など気にしないものである。他人の目など考えても仕方がないということを、経験から知っているのだろう。

自分のたった1つの失敗にこだわる必要はない。他人の目を恐れて挑戦しないのはもったいない。まずは、下手でもいいから、英語を喋ることから始めませんか?

(写真=PIXTA)
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