「科学者の楽園」も契約更新なければ奈落の底へ転落
加えて成果主義である。簡単に言えば、実績を評価して給与を増減させる仕組みだ。理研の成果主義の詳細はわからないが「年俸制」であり、理研の資料に「任期制研究員においても過度に成果を求めず、適正な競争環境を確保。信賞必罰は必要であるが、業績評価に基づく変動給への反映部分に一定のルールを設定」という記述がある。一般的に年俸制の場合、固定年俸と毎年の業績査定で決まる変動年俸で構成される。
その比率は固定が7割、変動が3割、過度の成果主義の企業は5対5のところもある。理研の研究員の平均年収は余所より高く700~800万円と言われる。仮に固定が400万円であれば残りの400万円は業績によって大きく変動し、800万円もらう人もいれば500万円の人もいるかもしれない。
だが、研究者の尻を叩くような過度の成果主義がそもそも必要なのかという議論もある。大手自動車メーカーでは当初、研究所の社員にも成果主義を導入したが、職場が混乱し、廃止した経緯がある。
人事課長はこう語る。
「製造現場と研究所は成果主義になじまないことがわかった。製造現場はルーチンワークがメイン。給与差が10円でも違えば、何であいつが俺より高いんだと反発し、チームワークが乱れ、やる気を失ってしまう。同じように研究所の研究員は個性派揃いで互いにライバル関係にある。そんな人間をまとめるチームワークが何より大事であり、安易に成果主義を導入すると失敗する。研究には1年で成果が出せるものもあれば3~5年経たないと結果が見えない研究もある。下手な評価で給与の差をつけたりすると仲間の離反が起こり、混乱するだけだ」
じつは誰もが納得する公正な評価は存在しない。ましてや研究内容・期間が異なるうえに、格差をつけろと言われれば、どうしても上司の恣意的評価が入りやすく適正な評価が難しいのが民間企業の現実だ。
2011年に無給の客員研究員として入所した小保方氏の能力を見抜けずに、13年に29歳でユニットリーダーに昇進させた理研の「評価」も極めて怪しいといわざるをえない。
かつて生活不安もなく自由な研究が許され「科学者の楽園」と呼ばれた理研の研究員は、日々成果主義で締め付けられ、契約更新されないと奈落の底に突き落とされる恐怖の中で仕事をしている。
論文不正事件で思い出したのが、アクリフーズの農薬混入事件だ。犯行の背景に不安定な契約社員という身分に加えて、2012年から導入した成果主義で賃金を減らされるという労働環境があった。
極度のストレスと不満が工場内に蔓延していたことは想像に難くない。結果として悪質な事件は工場を操業停止に追い込んだが、一方、理研は小保方氏の不正論文という“爆弾”で世界中に理研の権威を失墜させる事態に追い込まれた。