18日間だけの「レストランの給仕」が一生の経歴に

そんな千代が働いた先として、必ず語られるのが、本郷のレストラン・燕楽軒である。

ただし、実際に給仕として働いたのは、わずか18日。三週間もない。現代なら、試用期間すら終わらない。短期バイトの勤続日数である。ちなみにやめた理由を、千代はいくつかの随筆で9円たまったからとしている。さらに『私の文学的回想記』(中央公論社、1972年)では「袷の裏を剥がした着物を着ている癖に、念入りに化粧をした自分の姿を、人の目にさらすのが可厭だったのかと思ひます」ともしている。筆者に“女心”はわからないが、美意識に合わなかったということだろうか。

ところが、この18日が、千代にはその後ずっとついてまわる。作家になっても、ベストセラーを出しても、略歴には燕楽軒の名が出る。18日の勤務が、一生ものの経歴になってしまったわけだ。しかも、この店のことを「女給」と書かれるたびに、千代は我慢がならなかったらしい。

この頃の「女給」は、のちにカフェーで男性客の相手をした女性たちとは違う。純粋に料理を運ぶ女の給仕で、「女ボーイ」とも呼ばれていた。それがのちに、猥雑なカフェーで客に侍る女性ばかりを「女給」と呼ぶようになり、千代は、そんなものと一緒にしてくれるなと言いたかったのだろう。

千代「給仕女で、女給ではない」

実際、『私の文学的回想記』ではこう記している。

レストランなぞで働くことは、その頃では、人に自慢の出来ることではない、と思われていたのですが、今でも私の心の中に、やはり、自慢には出来なかったなと言う思いがあります。しかし、ここでちょっと言い訳しておきたいのは、のちに女給などといわれた種類の職業とは、いくらか違った形の仕事であったらしく、給仕は客の求めに応じて、料理、酒などを運ぶだけで、そのほかの応対は禁じられていましたので、生来、愛想のない私でも勤めることができたのです(『宇野千代全集』第12巻 中央公論社、1978年)。

自慢にはできなかったと言いながら、「言い訳しておきたい」と書いている。しかも、愛想がないから勤まったとまで自分で言っている。

『生きて行く私』になると、さらに念が入る。

給仕女で、女給ではない、などと、略歴を書かれるたびに、それを訂正したくなるのも、私の自尊心か(『生きて行く私』角川文庫、1996年)

自分の自尊心を、自分で分析している。18日のアルバイトを、何十年たっても訂正したがる。この負けず嫌いこそ、宇野千代である。

いや、千代でなくても腹は立つだろう。人生でたった18日しかやっていないバイトを、何十年たっても、本人が嫌がる呼び名で書かれ続けたら……。