金を支払ったのに建設が進まない

事業は奇妙な状態に陥っていた。建設資金は中国企業に滞りなく支払われていたのに、レールはほとんど敷かれなかったのだ。

アルマンド・インフォによると、2009年からの4年間の建設費は、支出が承認された分を含めて計約27億ドル(約4300億円)。契約額75億ドルの3分の1を超える額だ。運輸通信省は2012年の報告書で、資金の執行は計画どおりだとしながら、同期間の工事の進捗は5.6%にとどまると明かした。

2010年8月、国家鉄道公社の総裁は内部報告書にこう記している。現場には通訳がおらず、ベネズエラ人スタッフは中国語のままの図面を見せられていた、と。中国人の現場監督と作業員のあいだで意思疎通ができず、中国人スタッフがベネズエラ人側に「暴力的で反抗的な」要求を突きつける例が増えていたという。

そして2011年1月、工事は初めて中断する。労組幹部によると、中国中鉄は、「政府から(着工資金として)受け取ったのは8億ドル(約1260億円)なのに、2010年12月までに12億ドル(約1900億円)を使った」と主張している。その後も工事は中止と再開を繰り返すことになる。断続的な状態は完成予定の2012年を過ぎても変わらず、2014年まで続いた。結局、中国中鉄は進捗率31%の段階で工事から撤退することになる。約束していた技術移転も、実行されないままだった。

中国の論者の中には、両国の関係があまりに政治色の強いものだったため、中国企業が合理的な経営判断を下せなかったと指摘する人もいる。BRICS政策センターの牛海彬(ニウ・ハイビン)氏は論考で、高速鉄道に最も適するのは、大都市同士を結び、安定した電力供給を受けられる路線だとし、「その条件はベネズエラになかった」と論じた。

武器を手に工場へ押し寄せた住民

暗礁に乗り上げたティナコ―アナコ鉄道の計画は、やがて放棄され、現場も打ち捨てられた。冒頭のザラザの工場では、中国人管理者の撤退後、略奪が2週間にわたって続いた。

工場の在りし日の姿は、2013年に政府が公開したニュース映像に残っている。屋内競技場ほどある大きな工場棟が、手入れの行き届いた芝生の上に鎮座する。バスケットボールコートでは、中国とベネズエラの労働者たちが打ち解けて過ごしていた。

だが同じ2013年、鉄道当局のトップは、中国側への4億ドル(約630億円)の未払いがあると認めた。AP通信は、こうした資金難が工場の命運を断ったとみる。

放棄された工場
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2015年1月、最後の中国人管理職がザラザを去った。その直後、大勢の住民が工場に押し寄せる。武器を持つ者さえいた。まず発電機やパソコン、エアコンが、トラックの荷台に積まれ、運び出されてゆく。続いて建物そのものが壊され、金属製の外壁やタイルは剥ぎ取られ、銅線も引き抜かれた。

工場があった牧場の持ち主、ヘスス・エドゥアルド・ロドリゲス氏は、「すべて壊された。家に来て、その様子に泣きそうになった」と、略奪の日々を振り返る。

やがて、ベネズエラが頼りにしてきた中国も、腰が引けていく。中国自身が財政難を抱えていたうえ、融資の担保である原油も大きく値下がりしていたためだ。ボストン大学の経済学者、ケビン・ギャラガー氏は翌2016年、AP通信に「中国はいま、リスクにすっかりおびえている」と語っている。